※【世界遺産】64時間目 ルネサンス都市/独自の集落~ヨーロッパの世界遺産

こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」
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今日は第64時間目ということで「64ルネサンス都市/独自の集落」です

■ルネサンス都市

◯フィレンツェの歴史地区

(文)イタリア 1982年/2015年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 イタリア中部トスカーナ地方のアルノ河畔。

歴史 12世紀に自治都市に。14世紀から17世紀にかけてのルネサンスの中心都市。

ジョヴァン二・ディ・メディチ:14世紀終わりに金融業で成功し莫大な財産を築く。

コジモ・ディ・メディチ:ジョヴァンニの息子。15世紀半ばに実質的にフィレンツェの実権を握り、後に「祖国の父」という称号。

市の税収の半分以上を負担し図書館などの公共施設を建設。ルネサンス芸術家を庇護した。

ロレンツォ・ディ・メディチ:コジモの孫。ボッティチェリ(「春」「ヴィーナスの誕生」)レオナルドダヴィンチ(「モナリザ」)などを庇護し、若きミケランジェロ(「ダヴィデ像」)を見出す。

16世紀半ばコジモ1世が14世紀に建設されたゴシック様式のヴェッキオ宮を住居とし大改築を行う。「五百人広間」の壁面。

18世紀半ばアンナ・マリア・ルイ―ザ・デ・メディチが「メディチ家の財産はフィレンツェのもの」と遺言。

メディチ家が収集した美術作品はウフィツィ美術館として公開されている。

特徴 サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会:コジモの援助により建設されたルネサンス様式の建物。巨大な二重円蓋は建築家ブルネッレスキの設計。ジォットの設計による鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂も並ぶ。

コジモはヨーロッパ初の孤児院、メディチ家専属の建築家ミケロッツォ・ミケロッツィの設計のメディチ・リッカルディ宮を建設。

フィレンツェの歴史はメディチ家の歴史と言っても過言ではないので、どのメディチさんが何をやったかを覚えると良いと思います。二重円蓋は別名クーポラと言います。

Wikipedia→フィレンツェの歴史地区

◯ウルビーノの歴史地区

(文)イタリア 1998年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 イタリア中部。ルネサンスを代表する画家・建築家ラファエロ・サンティの生誕地。

歴史 ルネサンスの中心地の一つとなった文化都市。

15世紀にモンテフェルトロ家の当主フェデリーコが文芸を手厚く保護。

16世紀にはウルビーノの経済と文化は停滞期に入る。

特徴 15世紀半ばにルチアーノ・ダ・ラウラーラとフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニにより建造された壮麗なドゥカーレ宮殿。宮殿完成までは約100年を擁し多くの文化人が集う。

「イヨーレの居室」「メラランチの居室」「天使の間」「ドゥーカの居室」など。

「ドゥーカの居室」:ボッティチェリやブラマンテの下絵による寄木細工が施され、装飾には幾何学図形や遠近法なども用いられている。ドゥーカとはフェデリーコ公のこと。

■ルネサンス都市というかイタリアの「○○歴史地区」は覚えにくいのでキーワードで区別できるようにはしたい。

Wikipedia→ウルビーノの歴史地区

◯ルネサンス都市フェッラーラとポー川のデルタ地帯

(文)イタリア 1995年/1999年範囲拡大

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)

場所 イタリア北部、ポー川のデルタ地帯。

歴史 14世紀にエステ家の統治が始まり、有力な都市の一つとして成長。

1492年にエルコレ1世が新街地区の設計をビアージョ・ロセッティに命じた。→人文主義を意識したルネサンスの「理想都市」に。

特徴 エステ家の居城エステンセ城やスキファノイア宮殿。

■スキファノイア宮殿のエピファネイア感。

Wikipedia→ルネサンス都市フェッラーラとポー川のデルタ地帯

◯マントヴァとサッビオネータ

(文)イタリア 2008年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 北イタリアのポー川渓谷に位置。

歴史 この地域を支配したゴンザガ家によりルネサンス期の理想都市として整備された。

特徴 マントヴァ:11世紀に造られた円形の建造物ロトンダやバロック様式のビビエナ劇場が残る。

サッビオネータ:星形の城塞や碁盤目状の街並みが見られ、ルネサンス期の都市計画、建築学や美術を今に伝える。

■『ロミオとジュリエット』にも登場するマントヴァ。

Wikipedia→マントヴァとサッビオネータ

◯ヴィチェンツァの市街とヴェネト地方のパッラーディーオ

(文)イタリア 1994年/1996年範囲拡大

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)

場所 北イタリアのヴィツェンツァ。

歴史 紀元前2世紀に起源を持つ古い街。

建築家アンドレア・バッラーディオによりルネサンスの都市に生まれ変わる。

特徴 バッラーディオは元々あった建築物と新たなデザインを融合させることにより街並みを刷新した。

古代ローマ建築をモデルにし、柱廊やドームを始めて世俗の建築に採用したバッラーディオ様式

■バッラーディオ様式はヨーロッパやアメリカの建築にも多大な影響を与えた。

Wikipedia→ヴィチェンツァの市街とヴェネト地方のパッラーディーオ

◯ピエンツァの歴史地区

(文)イタリア 1996年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 イタリア中部。

歴史 15世紀に再開発が行われた計画都市。この地出身のピウス2世がローマ教皇に就任し再整備を命じる。

建築家ベルナルド・ロッセリーニがピウス2世広場を中心に格子状の道路で区画された街を目指した。

特徴 初のルネサンス様式による全面的な街づくりとなった。

■「理想の街」というピウス2世の要求で進められた。

Wikipedia→ピエンツァの歴史地区

◯ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

(文)スペイン 2003年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 スペイン南部にあるウベダとバエーサ。

歴史 スペインにおいて初めてルネサンスの理念に基づく都市改修が行われた街。

9世紀にはイスラムの支配下→13世紀にキリスト教徒に戻る→16世紀にルネサンスの都市計画により街が改修・発展。

特徴 ウベダの市庁舎やパラドール、バエーサの大聖堂など8件が世界遺産登録。

改修に貢献した建築家アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラの著作は後のラテン・アメリカの都市計画に影響を与えた。

■ウベダとバエーサはルネサンスの都市ということを抑えましょう。

Wikipedia→ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

◯ザモシチの旧市街

(文)ポーランド 1992年

登録基準(Ⅳ)

場所

歴史

特徴

■※まとめ~他の人にこの世界遺産を説明するならどう説明するか

Wikipedia→ザモシチの旧市街

■独自の集落

◯ヘルシングランドの装飾された農夫の家

(文)スウェーデン 2012年

登録基準(Ⅴ)

場所

歴史

特徴

世界遺産検定頻出遺産として覚えておくべき。

Wikipedia→ヘルシングランドの装飾された農夫の家

◯要塞都市クエンカ

(文)スペイン 1996年

登録基準(Ⅱ)(Ⅴ)

場所

歴史

特徴

■※まとめ~他の人にこの世界遺産を説明するならどう説明するか

Wikipedia→要塞都市クエンカ

◯マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園

(文)イタリア 1993年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)

場所

歴史

特徴

■※まとめ~他の人にこの世界遺産を説明するならどう説明するか

Wikipedia→マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園

◯アルベロベッロのトゥルッリ

(文)イタリア 1996年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)

場所

歴史

特徴

■有名世界遺産でクイズにもよく出るのがアルベロベッロ。

Wikipedia→アルベロベッロのトゥルッリ

◯ルーレオにあるガンメルスタードの教会街

(文)スウェーデン 1996年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)

場所

歴史

特徴

Wikipedia→ルーレオにあるガンメルスタードの教会街

◯ホローケーの伝統的集落

(文)ハンガリー 1987年

登録基準(Ⅴ)

場所

歴史

特徴

■※まとめ~他の人にこの世界遺産を説明するならどう説明するか

Wikipedia→ホローケーの伝統的集落

◯ヴルコリニェツの伝統的集落

(文)スロバキア 1993年

登録基準(Ⅳ)(Ⅴ)

場所 スロバキア中部、ヴェルカー・ファトラ山地にある小さな農村。

歴史 

特徴 

■世界遺産検定にはあまり出ないイメージ。

Wikipedia→ヴルコリニェツの伝統的集落

◯ホラショヴィツェの歴史的集落

(文)チェコ 1998年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 チェコ南部の南ボヘミア州。

歴史 13世紀中頃ボヘミア王がヴィシー・ブロト修道院に寄進した土地。

特徴 中世から続く伝統的農村に、18~19世紀に造られた民家が調和した美しい風景が広がる。

19世紀半ばに建てられた民家は素朴な装飾が特徴的な南ボヘミアのバロック様式で、屋根や壁はピンクや黄色のパステルカラー。

■写真で見ると本当に綺麗。色覚的に覚えるのが良い遺産なのでビジュアルから見て覚えるのをおすすめ。

Wikipedia→ホラショヴィツェの歴史的集落

◯トジェビーチのユダヤ人街とプロコピウス聖堂

(文)チェコ 2003年/2018年範囲変更

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 イフラヴァ河畔の小さな街。

歴史 13世紀初頭に建造されたバシリカ式の聖堂。後にロマネスクやゴシック様式が加えられた。

特徴 ユダヤ教文化とキリスト教文化が共存する地域。

ユダヤ人街とユダヤ人墓地、プロコピウス聖堂が構成資産。

■世界遺産検定にはあまり出ないイメージ。プロコピウス聖堂だけ覚えておく。

Wikipedia→トジェビーチのユダヤ人街とプロコピウス聖堂

おわりに

「ルネサンス都市/独自の集落」については、まずは◯◯◯を抑えておく。そして◯◯◯を覚える。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

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