【世界遺産】56時間目 古代ローマ関連~ヨーロッパの世界遺産

こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

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今日は56時間目ということで「56古代ローマ関連 」です

■56古代ローマ関連

◯ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・ムーラ聖堂

(文)イタリア/バチカン 1980年/1990年範囲拡大/2015年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 イタリアの首都ローマ。

歴史 オオカミに育てられたロムルスとレムスのうち兄ロムルスが築いたとされる。

共和制国家→帝政ローマ→キリスト教公認→西ローマ帝国滅亡(テキスト(下)P026 ~参照に)

特徴 ローマの歴史地区は紀元前1世紀~後5世紀のローマ帝国の遺構を中心とする建造物が残る。

最初はアウレリアヌスの城壁内が世界遺産が登録されていたが1990年にウルバヌス8世の築いた城壁内まで拡大された。

唯一城壁外のサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂など。

芸術の都としても花開く→ミケランジェロ、ラファエロ、ベルニーニなど。

フォロ・ロマーノ=「ローマ市民の広場」を意味する公共広場。集会や祭り、凱旋行進などが行われた。

コロッセウム=80年に完成した世界最大の円形闘技場。ヴェスパニアヌス帝が建設開始。1層ドーリア2層イオニア3層コリント

パンテオン=すべての神をまつった「万神殿」。前27年にアグリッパが建設、ハドリアヌス帝が増築。ミケランジェロが「天使の設計」と絶賛。

フォーリ・インペリアーリ=フォロ・ロマーノの北にある「諸皇帝の広場」。トラヤヌス帝がダキアに勝利した記念の「トラヤヌス帝記念柱」が残る。

カラカラ浴場=217年にカラカラ帝が市民のために開いた巨大な公衆浴場。

コンスタンティヌスの凱旋門=315年にコンスタンティヌス帝が建設したローマ最大の凱旋門

アウレリアヌスの城壁=ゲルマン人などの外敵を防いだアウレリアヌス帝によって作られた城壁。

Wikipedia→ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・ムーラ聖堂

◯ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区

(文)イタリア 1997年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)

場所 イタリア南部

歴史 ポンペイは79年にヴェスヴィオ火山の噴火で火山灰に埋没。16世紀末に発見され1748年から発掘が開始された。

特徴 すべての部屋が柱に囲まれた中庭を向くアトリウム形式を持つ「外科医の家」なども残る。

エルコラーノはナポリを見渡す岬にある。高級リゾート地であったと考えられポンペイより優れた排水施設が発見されている。

トッテ・アヌンツィアータはネロ帝の后のものと考えられるオプロンティスのヴィッラ(別荘)が発見されている。

Wikipedia→ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区

◯ティヴォリのハドリアヌス別荘

(文)イタリア 1999年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 イタリア中部

歴史

特徴 ハドリアヌス帝の別荘遺跡。

ゼノンが講義を行った「ストア・ポイキレ」を模した貯水池ポイキレやエジプトの小都市を模したカノプスなどが備えられていた。

Wikipedia→ティヴォリのハドリアヌス別荘

◯ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(古代ローマの別荘群)

(文)イタリア 1997年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 シチリア島

歴史 3~4世紀に建てられた古代ローマ人の別荘跡

特徴 40以上の部屋があり床いっぱいにモザイク装飾がなされている。

絵柄は宗教的な要素がない世俗的なものがモチーフになっている。

Wikipedia→ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(古代ローマの別荘群)

◯ヴェローナの市街

(文)イタリア 2000年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 イタリア北部アディジェ川のほとり

歴史 古代ローマ、ロマネスク様式時代、スカーラ家が統治した時代、ルネサンス期の遺構が残る。

特徴 町の中央に位置するアレーナ・ディ・ヴェローナ(円形闘技場)はローマ帝国時代のもの。

サン・マルコの円柱が残るシニョーリ広場、エルベ広場、ラジョーネ宮殿(コムーネ宮)、スカリジェーリ家の廟、ローマ劇場などの歴史的建造物が残る。

サン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂、ドゥオーモ、サン・フェルモ・マッジョーレ聖堂などの宗教建築も残る。

Wikipedia→ヴェローナの市街

◯アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂

(文)イタリア 1998年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 イタリア北東部ポー平原に位置するアクィクレア。

歴史 紀元前181年共和制ローマが軍事目的で建設した都市。

特徴 バシリカ総主教聖堂は1031年に再建されたもので東方正教会の中央ヨーロッパへの布教拠点だった。

南側のホールに残る4世紀のモザイク画にはラバルムも確認でき、キリスト教信仰の歴史を伝えている。

※ラバルム=XとPを組み合わせたデザイン

Wikipedia→アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂

◯ピリッポイの考古遺跡

(文)ギリシャ 2016年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 ギリシャ北東部アクロポリスの麓

歴史 紀元前356年にマケドニア王ピリッポス2世によって創建された。

特徴 壁に囲まれた都市ピリッポイ。

ヨーロッパとアジアを結ぶエグナティア街道が通る交通の要所。

紀元後40~50年にかけて使徒パウロがこの都市を訪問してからキリスト教信仰の中心地となった。

Wikipedia→ピリッポイの考古遺跡

◯オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺

(文)フランス 1981年/2007範囲変更

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 フランス南部プロヴァンス地方

歴史 紀元1世紀頃のアウグストゥスの治世下で建設された古代ローマの遺跡。

特徴 カエサルがオランジュを征服して植民地とし、ローマの都市計画を持ち込んだ。

ローマ劇場は1万人の観客を収容できた。町の北部の凱旋門は紀元20年頃の建造。

門を飾るレリーフには裸のままに繋がれたガリア人と戦闘の勇姿を誇ったローマ人の様子が再現されている。

Wikipedia→オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺

◯ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)

(文)フランス 1985年/2007年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 フランス南部ガール川にかかる橋。

歴史 古代ローマのアグリッパが建設した水道橋。

特徴 アヴィニョン近隣の水源地ユゼスからネマウスス(現在のニーム)まで水を引くために造られた水路の一部。

水源地と供給地の高低差はわずか17mほど。白亜紀の石灰岩で造られた3層のアーチ状。

Wikipedia→ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)

◯アルルのローマ遺跡とロマネスク建築

(文)フランス 1981年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 フランス南部プロヴァンス地方のアルル。

歴史 4世紀コンスタンティヌス帝が拠点とすることで最盛期を迎えた。

特徴 有名な遺跡は紀元前90年頃に造られた円形闘技場。

中世の遺構で有名なのは11世紀~12世紀にかけて造られたサン・トロフィーム聖堂。扉口上のタンパンには「最後の審判」が再現された彫刻がある。

Wikipedia→アルルのローマ遺跡とロマネスク建築

◯メリダの考古遺跡群

(文)スペイン 1993年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 スペイン南西部のメリダ

歴史 紀元前25年 スペイン戦役に勝利したローマ帝国初代皇帝アウグストゥスはイベリア半島統治のためにアウグスタ・エメリタを建設した。

特徴 古代ローマの植民市で「アウグスタ・エメリタ」と呼ばれた。

メリダはイベリア半島におけるキリスト教布教の拠点でもあった。

飲料水や農業用水を供給していたプロセルピナ貯水池などは現在も使用されている。

Wikipedia→メリダの考古遺跡群

◯タラゴナの考古遺跡群

(文)スペイン 2000年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 スペイン東部。

歴史 紀元前218年に古代ローマに占領されたタラゴナはイベリア半島進出の拠点となった。

特徴 古代ローマ時代におけるイベリア半島最大規模の都市

「悪魔の橋」の異名を持つラス・ファラレス水道橋などのローマ建築が残る。

Wikipedia→タラゴナの考古遺跡群

◯ラス・メドゥラス

(文)スペイン 1997年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 スペイン北西部アキリアノス山地の斜面に広がる。

歴史 古代ローマ時代の金の採掘城跡。採掘はトラヤヌス帝の時に最盛期。

特徴 採掘の作業は川から水路を引き、大量の水で山を削るという方法がとられた。

その残土が現在みられる赤茶色の小山群を形成した。

Wikipedia→ラス・メドゥラス

◯ヘラクレスの塔

(文)スペイン 2009年

登録基準(Ⅲ)

場所 スペイン北西部ガリシア地方。

歴史 現役で稼働する世界最古の灯台

特徴 ガリシア地方は「ブリガンティウム」と呼ばれ、ケルト人が海外にいくつもの見張りの塔を建て、その一つを灯台に改築。

「ブリガンティウムの塔」と名付けられたのがスペイン統一後に「ヘラクレスの塔」に改名。

Wikipedia→ヘラクレスの塔

◯ガレリウス帝の宮殿、ガムジグラード-ロムリアーナ

(文)セルビア 2007年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 セルビア東部にあるガムジグラード。

歴史 古代ローマのガレリウスが自身の母をたたえて建造した街。

特徴 母の名ロムラからロムリアーナと呼ばれていた。

宮殿は塁壁と塔に囲まれ、すべての床面がモザイクで装飾されている。母の墓や凱旋門などが今も残る。

Wikipedia→ガレリウス帝の宮殿、ガムジグラード-ロムリアーナ

◯ルーゴのローマの城壁群

(文)スペイン 2000年

登録基準(Ⅳ)

場所 イベリア半島北西部ルーゴ。

歴史 3世紀頃にローマが鉱物資源に恵まれた街を守るために重要拠点として建設した。

特徴 城壁は花こう岩や粘板岩を積み重ねて造られており、10の門、46の塔とともに街を囲んでいる。

Wikipedia→ルーゴのローマの城壁群

◯ローマ帝国の境界線

(文)イギリス/ドイツ 1987年/2005、2008年範囲拡大

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 グレートブリテン島北部

歴史 ハドリアヌス帝が築いた防壁が「ハドリアヌスの長城」として世界遺産に。その後2度拡大登録される。

特徴 ハドリアヌスの城壁は北方民族からの襲撃に、ドイツのリーメスの城壁はゲルマン民族の襲撃に備えたもの。

Wikipedia→ローマ帝国の境界線

◯バースの市街

(文)イギリス 1987年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 イギリス南部

歴史 古くから温泉が湧いており、「ローマ時代からの熱い温泉があるところ」という意味から「バース」になった。

特徴 18世紀初頭にはバースは保養地として再開発が行われる。

建築家ジョン・ウッドと大理石の採掘場を所持していたラルフ・アレン、社交界で重要人物だったリチャード・ナッシュが建設に大きな役割を担った。

当時流行していたバッラーディオ様式を取り入れ、高級住宅街「ザ・サーカス」などを築いた。

息子のジョン・ウッド・ジュニアは半円形重合住宅のロイヤル・クレセントを完成させた。

Wikipedia→バースの市街

◯トリーアのローマ遺跡、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂

(文)ドイツ 1986年

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 ドイツ西部モーゼル川上流にあるトーリア。

歴史 4世紀にゲルマン人に押されローマ勢力は離れるが、キリスト教徒と司教はとどまり中世に大司教座都市として繁栄した。

特徴 2世紀末に建てられた有名な黒い門はポルタ・ニグラ

コンスタンティヌス帝が建てたアウラ・パラティーナはレンガ造りの壮大な宮殿。

Wikipedia→トリーアのローマ遺跡、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂

◯スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群

(文)クロアチア 1979年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 クロアチア

歴史 295年古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスが建造させた建築物群。

特徴 スラヴ人などの攻撃でサロナの街は甚大な被害を受け、人々はスプリトに移り住み新しい街を築いた。

様々な勢力の支配を受け、ローマの遺跡の上に、ゴシック、ルネサンス期、バロックといった建築様式が融合した街並となる。

Wikipedia→スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群

おわりに

「古代ローマ関連」については、地名と遺跡名の紐づけも難しいのでますはそこをを覚える。

その後に人物名と歴史、建造物の特徴をセットで覚えていきたい。古代ローマの人物名は苦手なので力を入れたいところ。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

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