【世界遺産】06キリスト教(カトリック/プロテスタント/正教会/東方諸教会)

こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定2級合格に向けての勉強シリーズです。

「くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

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今日は第6回目ということで「キリスト教(カトリック/プロテスタント/正教会/東方暑教会)」です

■カトリック/プロテスタント

◯サンティアゴ・デ・コンポステーラ

(文)スペイン 1985年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)

◯スペイン北西部にある。

→キリスト教十二使徒のひとり、聖ヤコブゆかりの地。

→旧市街には聖ヤコブ大聖堂や現在はパラドールとなっている旧王立施療院などが残る。

◯サンティアゴ・デ・コンポステーラの歴史

→聖ヤコブを祀る聖堂建設からイスラム勢力に支配され、レコンキスタにより街が奪還されるとキリスト教の聖地とされ巡礼者が増えた。

◯聖ヤコブの大聖堂

→1128年に完成したが12世紀中は増改築が続く。

→大聖堂の門は彫刻家マテオが20年かけて完成させたロマネスク様式の傑作で「栄光の門」と呼ばれる。

→その後も増築され17世紀にはチュリゲラ様式の主祭壇が増築された。

キリスト教の聖地で、レコンキスタとの絡み、聖ヤコブの祭壇の建設から増改築流れを覚える。

Wikipedia→サンティアゴ・デ・コンポステーラ

◯サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道

(文)スペイン 1993年/2015年範囲拡大 (Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

◯前述のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。

→ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫く。

→カミノ・フランセス(フランス人の道)のほかスペイン北部の巡礼路が登録されている。

→世界遺産でも珍しい「道の遺産」で、聖ヤコブへの信仰から、この道を通じて文化交流が行われ、ロマネスク様式が広がる手助けにもなった。

→沿道に残る1,800もの建物は多くのロマネスク様式の修道院や聖堂が含まれている。

→巡礼は民間人だけでなく王公貴族も行った。

■前述のサンティアゴ・デ・コンポステーラについてと、後述のフランスの巡礼路と3つセットで覚えるのが良い。

Wikipedia→サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道

◯フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

(文)1998年 (Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

◯スペインの巡礼路に続く道

→「トゥールの道」「リモージュの道」「ル・ピュイの道」「トゥールーズの道」の4本の道。

スペイン側の巡礼路と別で登録されている。

◯沿道に建つ構成資産

→トゥールのサン・ガディアン大聖堂

→トゥールーズのサン・セルナン教会

→単独で世界遺産になっているモン・サン=ミシェルやヴェズレーのサント・マドレーヌ教会なども含まれる。

■サンティアゴ・デ・コンポステーラの3つめ。4本の道がキーワード。スペイン側の巡礼路とは別登録。

Wikipedia→フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

◯ヴァティカン市国

(文)ヴァティカン市国 1984年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

◯世界最小の独立国ヴァティカン

→ローマ教皇庁が置かれるカトリック教会の聖地。

→元首はローマ教皇。

国全体が世界遺産登録されている世界で唯一の場所。

サン・ピエトロ大聖堂

→キリストの最初の弟子ぺテロの墓所に建つ。

→システィーナ礼拝堂にはミケランジェロの『最後の審判』のフレスコ画

■クイズで覚えたフレーズがたくさんあるのでたぶん大丈夫。サン・ピエトロ大聖堂は15世紀にドナート・ブラマンテが主任建築家として大規模改築工事を始めたのをおさえておく。

Wikipedia→ヴァティカン市国

◯イエス生誕の地:ベツレヘムの生誕教会と巡礼路

(文)パレスチナ 2012/2012年危機遺産登録 (Ⅳ)(Ⅵ)【危機遺産】

◯イエスが生まれたとされる場所に建てられた生誕教会

→ローマ・カトリックやギリシャ正教、フランシスコ会やアルメニア教会の女子修道院や教会など。

→鐘楼や庭園、巡礼路も登録された。

◯危機遺産リストに

→漏水による建物破損などのため緊急的な保護が必要であると判断。

→正規の登録手順をふまない「緊急的登録推薦」で登録され、同時に危機遺産リストに記載された。

■過去問でイスラエルかパレスチナで迷ったのでパレスチナと覚える。緊急的登録推薦は重要ワード。

Wikipedia→イエス生誕の地:ベツレヘムの生誕教会と巡礼路

◯ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』

(文)イタリア 1980年 (Ⅰ)(Ⅱ)

◯15世紀半ばに建造されたドミニコ会の修道院。

→食堂壁面にはダヴィンチの『最後の晩餐』が残されている。

ゴシック様式の修道院は15世紀にブラマンテによってクーポラと後陣が増築。

■個人的に苦手な2つ、建築様式についてとキリスト教の◯◯会の問題があるのでそこをチェック。ここはゴシック様式ドミニコ会

Wikipedia→ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』

◯モン・サン=ミシェルとその湾

(文)フランス 1979年/2007年、2018年範囲変更 (Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅵ)

◯フランス北西部のモン・サン=ミシェル湾に浮かぶ。

→「聖ミカエルの山」と崇められている修道院の島。

ベネディクト会の修道院が創建された後に増改築が繰り返され、中世の多様な建築様式が混在した。

■モン・サン=ミシェルはベネディクト会。以上。

Wikipedia→モン・サン=ミシェルとその湾

◯ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会

(文)ポーランド 2001年 (Ⅲ )(Ⅳ)(Ⅵ)

◯ポーランド南西部シレジア地方

→ヤヴォルとシフィドニツァは例外的にプロテスタント教会の建築が許された。

→石造ではなく木と土の伝統的技法で作られたのは砦として使われることのないように

→清貧を旨とするプロテスタントの教会ながらカトリックの壮麗さも併せ持っており、その歴史的背景から平和教会と呼ばれる。

■まずはヤヴォルとシフィドニツァという名称が難しい。平和教会の背景を思い出せば世界史の流れを含めて内容は出てくるはず。プロテスタント。

Wikipedia→ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会

■正教会/東方諸教会

◯メテオラの修道院群

(複)ギリシャ 1988年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅶ)

◯ギリシャ語で「中空に浮く」

→高さ20~400mの尖塔状の岩塊が林立

→切り立った岩の上に建つ修道院は岩山の形状に沿った独特の構造をしている。

◯ギリシャ正教の修道士たちがメテオラ付近に移住

隔絶された環境で修行するために山頂に修道院を建てる。

→聖アタナシオスによって築かれたメテオラ最大のメタモルフォシス修道院など7つの修道院が登録されている。

→後期ビザンツ様式のカトリコンや聖ニコラオス修道院などには、15~16世紀に制作されたクレタ様式によるフレスコ画が残る

イコンと呼ばれる聖画や古写本、典礼用具などを擁し、ギリシャ正教美術の宝庫ともなっている。

■メテオラの修道院の建設背景とギリシャ正教との繋がりを考えると結びつきやすい。イコンクレタ様式などもあわせて覚える。

Wikipedia→メテオラの修道院群

◯キエフ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キエフ・ペチェルスカヤ大修道院

(文)ウクライナ 1990年/2005年範囲変更 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

◯ウクライナの首都キエフ

→9~13世紀にキリスト教圏の東端に栄えたキエフ・ルーシ(キエフ大公国)の興亡の歴史。

◯聖ソフィア大聖堂

→キエフ・ルーシ全盛の11世紀にヤロスラフ賢公によって建設された。

→ビザンツ様式とロシアの伝統様式が混在。

→「ロシアの聖堂の母」と呼ばれる。

◯キエフ・ペチェルスカヤ大修道院

→ウクライナ正教の総本山

→モンゴル軍に破壊されたが19世紀に再建された。

■あまり馴染みのない遺産なのでキエフ・ルーシやヤロスラフ賢公などのワードはおさえる。

Wikipedia→キエフ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キエフ・ペチェルスカヤ大修道院

◯セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギエフ大修道院

(文)ロシア 1993年 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯トロイツェ・セルギエフ大修道院

→モスクワの北東約70kmにある。

→ロシア正教の中心地のひとつ。

→14世紀に修道士セルギー・ラドネシスキーが建てた聖堂を起源。

→1422年にトロイツキー聖堂が建てられる。

→1559年にはクレムリンの同名の聖堂に倣ったウスペンスキー聖堂が建てられた。

→1774年にバロック様式の鐘楼が完成、当時のロシアで一番高い建物だった。

→18世紀後半から大修道院を取り囲むような都市計画のもと街が整備され、東欧の建築に大きな影響を与えた。

遺跡名や建設者、 情報についてもあまり知らないので個人的にはかなり難問となりそうな世界遺産。難しいので覚える意識を強くもつ。

Wikipedia→セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギエフ大修道院

◯エチミアジンの大聖堂と教会群、およびスヴァルトノツの考古遺跡

(文)アルメニア 2000年 (Ⅱ)(Ⅲ)

エチミアジン世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニアで、アルメニア正教会初の大主教座が置かれた都市

→「ノアの方舟」伝説で知られるアララト山の北約50kmに位置する。

→主教座が措かれたことで主教座聖堂が建設された。

→5~7世紀にはドーム天井をもつギリシャ十字型プランの初期ビザンツ様式に改修。

→周辺には聖フリプシメ聖堂と聖ガネヤ聖堂がある。

→郊外のズヴァルトノツには7世紀建立の聖堂跡や王宮跡がある。

■アルメニアが世界で初めてキリスト教を国教にしたのは有名。エチミアジンという地名とアルメニアを紐付けるのが難しい

Wikipedia→エチミアジンの大聖堂と教会群、およびスヴァルトノツの考古遺跡

◯ゲラティ修道院

(文)ジョージア 1994年/2017年範囲変更 (Ⅳ)

◯中世ジョージアの黄金時代を代表する建築物。

→1106年創設

→滑らかに削り出された巨大なブロックからなるファザード(建物正面)

→美しく均整のとれたバランス

→外壁の装飾を支える裏側のアーチ構造などが特徴。

→中世のジョージア正教会最大の修道院のひとつだった。

◯修道院単体の登録に範囲変更

→2017年の世界遺産委員会で再建が問題視されたバグラティ大聖堂が削除され、修道院単体での登録となった。

ジョージアのゲラティを人名っぽく覚えるのが分かりやすいかも(ジョージ=ゲラティみたいに)しれない。

Wikipedia→ゲラティ修道院

◯リラの修道院

(文)ブルガリア 1983年 (Ⅵ)

ブルガリア正教の総本山

→ブルガリア南西部の高原にある。

→10世紀に修道士イワン・リルスキーがこの地にある洞窟で隠遁生活を送ったことをきっかけに多くの修道士や巡礼者が集まり集落が形成された。

◯ブルガリア民族の精神的支え

→オスマン帝国支配下でもブルガリア語の使用が許可された。

→14世紀の地震、19世紀の火災などで被害を受けてもその度に再建され、今もブルガリア民族の精神的な拠り所になっている。

■東方諸教会は名称と国名を必ずセットで覚えたい。その中でどういう特徴があるのかを整理する必要があるので、比較しながら覚えるのが良いと思う。

Wikipedia→リラの修道院

◯ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群

(文)エチオピア 1979年 (Ⅱ)(Ⅲ)

◯標高2,000mの高地にあるゴンダール。

→エチオピア帝国の皇帝ファシラダスがアクスムから遷都。

→17世紀以降150年にわたって栄えた都市、

→ゴンダールを見下ろす小高い丘にはファジル・ゲビと呼ばれる王宮群が立ち並ぶ。

◯ファジル・ゲビの特徴

→城壁内にはエチオピア正教と聖堂などの遺構が残る。

→その多くはゴンダール式と呼ばれる独自の様式で建てられている。

→タブレ・ベルハン・セラシエ聖堂ではエチオピアの宗教美術の様子を組む聖人のフレスコ画などが見られる。

■ゴンダール式と地名、遺産名を覚える。覚えにくいので地道に反復しかない。

Wikipedia→ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群

おわりに

キリスト教関係もその歴史背景などを考えながら読み解くことで知識としての定着がより深まると感じた。

長い名前のものや東方諸教会についてはうまくセットで覚えたいと思いました。

世界遺産検定2級→07イスラム教/仏教/世界の宗教

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