【世界遺産】05文化の多様性/歴史地区と旧市街 /都市計画

こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定2級合格に向けての勉強シリーズです。

「くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

Amazon→くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト

Amazon→世界遺産検定公式過去問題集1・2級〈2021年度版

今日は第5回目ということで「文化の多様性/歴史地区と旧市街/都市計画」です

■文化の多様性

◯バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学 トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」

(文)インドネシア 2012年 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅴ)(Ⅵ) 【文化的景観】

◯バリ・ヒンドゥーの哲学=トリ・ヒタ・カラナ

→バリの土着の信仰やヒンドゥー教、インド仏教などが習合。

→バリ・ヒンドゥーでは水が神格化されている。

トリ・ヒタ・カラナとは人々の生活や労働・環境設定などに影響している神と人、自然の調和をもたらす宇宙観を反映した概念

◯構成資産について

→5つの棚田の景観や灌漑施設

→水利システム「スバック」

スバックとは

→寺院に集められた水を分けあう水利システム

火山による起伏の激しい大地熱帯雨林気候がもたらす肥沃な土壌。

→主食の米の栽培に理想的な環境。

→スバックにより平地と山間部の両方へ水を引くことができ、豊かな米の収穫をもたらした。

◯現在は観光客増加などにより景観保護が課題。

■①「トリ・ヒタ・カラナ」の概念と、②水利システム「スバック」を覚える。水を引き、豊かな米を収穫。文化的景観あり→最近は観光客の増加が懸念。

Wikipedia→バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学 トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」

◯バンディアガラの断崖

(複)マリ 1989年 (Ⅴ)(Ⅶ)

ニジェール川流域、保有国はマリ複合遺産である。

→標高差500mの断崖が約200kmに渡り続く。

→15世紀初頭頃から西アフリカの奴隷狩りやイスラム化から逃れたドゴン族がこの地に移り住み集落を築いたとされる。

集落の特徴について

頭を北に向けて横たわる人間に見立てて家屋が配置。

→この配置は「アンマ」という神を信仰するドゴン族の神話に由来。

→北端には「ドグナ」と呼ばれる集会所。

→断崖には円錐形の屋根をもつ穀物倉庫が立ち並ぶ。

■複合遺産なので集落の形状についての特徴と、ドゴン族の文化を絡めて覚えるようにする。

Wikipedia→バンディアガラの断崖

◯パパハナウモクアケア

(複)アメリカ 2010年 (Ⅲ)(Ⅵ)(Ⅷ)(Ⅸ)(Ⅹ)【文化的景観】

複合遺産文化的景観が認められている。保有国はアメリカ

◯場所はハワイ諸島の北西250~1,931kmに広がる線上の範囲。

北西ハワイ諸島の島々と環礁の集合体。

世界最大級の海洋保護区

→多様な生態系が見られる。

◯2つの島「ニホア」と「マクマナマナ」

→西欧化以前の定住跡が残る。

→ハワイの先住民は代々受け継いだこの一帯を生命発祥の地かつ死後には魂が戻る故郷と考えていた。

世界最大の海洋保護区であり、ハワイ先住民の文化の形跡が見られる。「ニホア」と「マクマナマナ」の2つの島。複合遺産文化的景観が認められていると情報量が多い。

Wikipedia→パパハナウモクアケア

◯大ジンバブエ遺跡

(文)ジンバブエ 1986年 (Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅵ)

ショナ族が残した石造りの遺構。

→場所はジンバブエ高原の南端。

→11~15世紀にショナ族が築いた都市遺構。

「アクロポリス」「神殿」「谷の遺跡」からなる。

→最盛期の15世紀には約2万人が暮らす。

→1450年頃に放棄された。

◯「アクロポリス」→丘の上にあり王の都市であったと考えられる。

◯神殿→円錐形の塔を挟んで祭祀の空間と生活の空間に分けられていた。

◯谷の遺跡→高度な技術で築かれた石の住居が並ぶ。

ショナ族の石造り遺構。「アクロポリス」「神殿」「谷の遺跡」の3つの特徴を整理しておく。

Wikipedia→大ジンバブエ遺跡

◯マサダ国立公園

(文)イスラエル 2001年 (Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

◯場所は死海の西岸

◯建築物→冬の離宮兼要塞の跡

→紀元前1世紀にユダヤ王国のヘロデ王が築いた。

→死海を眼下に収める天然の地形を利用した要塞

→1世紀にユダヤ人がエルサレムをローマ軍に奪われこの地で籠城。

→2年以上抵抗したが陥落。

→集団自決を遂げたため、マサダはユダヤ人の結束のシンボルとなっている。

■ユダヤ人の結束のシンボル。死海の西岸で天然の地形で堅牢な要塞。ユダヤ王国のヘロデ王。といったキーワードを流れで覚える。

Wikipedia→マサダ国立公園

◯ティムリカ・オヒンガの考古遺跡

(文)ケニア 2018年 (Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)

◯場所はケニア西部、ヴィクトリア湖に近い都市ミゴリの北西。

→16世紀に築かれたと考えられる石垣に囲まれた集落跡

◯集落を意味する「オヒンガ」の役割

→①集落の住民や家畜を守る砦の役割

→②種族間の社会的な繋がりや関係性を明らかにするもの

■石垣に囲まれた集落跡。「オヒンガ」の特徴と意味を考えながら覚える。

Wikipedia→ティムリカ・オヒンガの考古遺跡

◯ナン・マトール:ミクロネシア東部の儀礼的中心地

(文)ミクロネシア 2016年/2016年危機遺産登録 (Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ) 【危機遺産】

◯場所→ミクロネシア連邦のポンペイ島東岸。

100以上の人工島からなる。

◯海に浮かぶ儀礼の中心地。

サウデルール朝の儀礼の中心地

→1200~1500年頃に石造りの宮殿や寺院、墓地、住居が築かれた。

危機遺産リスト

マングローブの繁茂構築物の損傷度合いの大きさなどから世界遺産登録と同時に危機遺産リストにも記載された。

■ナン・マトールという名称と特徴をうまく紐付ける。ナンマトールはミクロネシア連邦。100以上の人工島、危機遺産にもなっていることを覚える。

Wikipedia→ナン・マトール:ミクロネシア東部の儀礼的中心地

◯カスビのブガンダ王国の王墓

(文)ウガンダ 2001年/2010年危機遺産登録 (Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ) 【危機遺産】

ウガンダ中南部カンパラ市内のカスピの丘

ブガンダ王国の歴代の王の墓所が残る。

→中央の丘の上の宮殿は1882年に王宮として建設され、1884年の王の死後は王墓 として使用された。

→4名の王が葬られたドーム型のムザビ・アザーラ・ムバンガは木材やワラ、アシ、土壁による自然素材建築の傑作。

◯2010年3月に原因不明の火事で大部分が消失。危機遺産リストに。

ウガンダのブガンダのムバンガという語呂の良さで紐付ける。火事で消失し危機遺産リスト入り、ムザビ・アザーラ・ムバンガはドーム型。

Wikipedia→カスビのブガンダ王国の王墓

◯首長ロイ・マタの旧所領

(文)バヌアツ 2008年 (Ⅲ)(Ⅴ)(Ⅵ) 【文化的景観】

南太平洋の3つの島々に跨がる史跡群と景観。

首長ロイ・マタは17世紀初頭の伝説的な首長

→諸部族を平和的に統一し社会変革を実行したとされる。

→今もバヌアツの精神的支柱。

ロイ・マタの住居跡、臨終の地と伝わるフェルス洞窟、埋葬されたアルトク島などの遺跡が世界遺産に登録。

バヌアツの英雄 ロイ・マタゆかりの史跡群とその伝説に結び付いた文化的景観がキーワード。

Wikipedia→首長ロイ・マタの旧所領

◯シンクヴェトリル国立公園

(文)アイスランド 2004年 (Ⅲ)(Ⅵ)【文化的景観】

◯「世界最古の議会」と呼ばれる

アルシング(全島集会)は930年にアイスランドの代表者が集まって行われた世界初の民主議会と呼ばれる。

◯文化的景観

→活発な火山帯が広がり世界で2ヶ所しかないギャオと呼ばれる大陸プレートの裂け目が見られる場所でもある。

→公園からグトルフォスの滝までは水蒸気や熱湯を噴出するゲイシールが多く、地球生成の歴史をみることができる。

■クイズでもお馴染みのアルシングと、ギャオゲイシール。シンクヴェトリル国立公園もみんはやでお馴染みなのでここはサラッと。

Wikipedia→シンクヴェトリル国立公園

◯麗江の旧市街

(文)中国 1997年/2012年範囲変更 (Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)

◯中国南西部の雲南省に麗江はある

→交通の要所で茶葉や馬などの交易品の集積地となり発展。

→中国国内や近隣諸国から漢族やチベット族が訪れた。

納西族(ナシ族)の営み

→多民族との交流の中で様々な文化を吸収し、旧市街に残る壁画や東巴文字など独自の文化を育んだ。

◯麗江の水路

→縦横に張り巡らされた水路。

→街全体に生活用水を行き渡らせ街を浄化するシステムとして機能。

◯街路沿いは2階建ての木造建築が隙間なく立ち並び、その瓦屋根が続く景観も特徴。

麗江=ナシ族=東巴文字という文化の流れをセットで覚える。独自の文化が生まれた背景には交易品の集積地地点として発展した経過がある。

Wikipedia→麗江の旧市街

◯ホローケーの伝統的集落

(文)ハンガリー 1987年 (Ⅴ)

ハンガリー北西部の山岳地帯にある。

→19世紀以前の様子を伝える伝統的な木造家屋が立ち並ぶ。

泥とワラを混ぜた壁に石灰を塗って仕上げられた「パローツ様式」と呼ばれる独特の木造家屋。

→パローツはこの地域に古くから住んだ住民の名称。

→中性にカスピ海沿岸から移住してきたトルコ系クマン人と関係があるとも言われる。

→パローツ様式は火に弱く火災により何度か焼失したがその度に伝統的な景観のまま再建されている。

→現在は120余りの家と教会が見られ、現在も村民が暮らしている。

ホローケーは木造家屋で、「パローツ様式」という仕上げ方でできている。覚えにくい名称が多いので口に出して覚える。

Wikipedia→ホローケーの伝統的集落

◯ラパ・ニュイ国立公園

(文)チリ 1995年 (Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅴ)

◯1,000体ものモアイが残る島

チリの西3700年km沖に位置する。

→凝灰石を削って作られたモアイが約900体残る。

→ラパ・ニュイとは先住民の言葉で「輝ける偉大な島」という意味。

◯モアイを作ったのは

→ポリネシアに起源を持つ長耳族で4世紀頃から制作がはじまったとされる。

→11世紀頃までは5~7mだったが南米から短耳族が移住してくると10mを超えるモアイが作られるように。

→16世紀頃には食糧難から部族間で争いが起こり、互いに相手のモアイを倒す「フリ・モアイ」が起こった。

■ラパ・ニュイやモアイは有名なのでその背景にある長耳族やフリ・モアイについては軽くまとめる。

Wikipedia→ラパ・ニュイ国立公園

◯オルホン渓谷の文化的景観

(文)モンゴル 2004年 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)【文化的景観】

◯遊牧民の暮らし→文化的景観

モンゴル高原を流れるオルホン川流域に築かれた遺跡群

→約1,200kmに渡り点在している。

①突厥が6~7世紀に築いた遺跡

②ウイグル王国の都カラ・バルガスン遺跡

③チンギス・ハンがうちたてたモンゴル帝国の都カラコルムなど

◯自然と調和して培われてきた遊牧民の伝統や社会を2,000年に渡り伝えている。

◯文学資料として貴重な碑文

→8世紀建立のホショーツァイダム遺跡からはオルホン碑文が発見。

→東アジアでは漢字を除いて日本の「かな」と並ぶ古い歴史をもっている。

モンゴルのオルホンモンゴルホンで覚える。時代の流れの中で築かれた遺跡群とオルホン碑文はおさえる。

Wikipedia→オルホン渓谷の文化的景観

■歴史地区と旧市街

◯シエナの歴史地区

(文)イタリア 1995年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

◯フィレンツェと競いあった自治都市。

→トスカーナの丘陵地帯。

→12世紀に「コムーネ」という市民による政治組織が成立。

→商業、金融業の中心に。

ペストの大流行で様相が変化。

→人口が激減しライバルのフィレンツェ公国に併合された。

◯歴史地区の特徴

→中世の歴史的建造物がそのまま残っている。

シエナの代表的建造物ドゥオーモは9世紀に創建された古い聖堂の遺構の上に建っている。

→着工から完成まで200年以上たっている。

◯世界で最も美しい広場と称賛されたカンポ広場

→14世紀に完成した高さ102mにおよぶ「マンジャの塔」をもつゴシック様式の美しい市庁舎が立ち並ぶ。

■フィレンツェとの関係性ではヨーロッパの中心として存在感を示していたがペストでの衰退があった。歴史地区の建造物もサラッとおさえる。

Wikipedia→シエナの歴史地区

◯プラハの歴史地区

(文)チェコ 1992年/2012年範囲変更 (Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

◯チェコの首都プラハに流れるのはヴルタヴァ川(モルダウ川)。

◯プラハの歴史

→6世紀頃後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川の河岸に築いた集落や砦に始まる。

→9世紀頃、川の左岸にプラハ城の前身となる城塞が、右岸にヴィシェフラト城が建設され次第に人口が増加。

→市域も広くなり973年にはプラハに司教座も置かれた。

◯神聖ローマ帝国の首都に。

→14世紀半ば、ボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国カール4世として即位。

→プラハ城の改装やカレル橋の建設、新市街の建設が行われヨーロッパ随一の都市が築き上げられていった。

→15世紀、宗教対立からフス戦争が勃発、動乱や紛争が続く時期に。

→16世紀、ハプスブルク家を国王に迎えカトリック化へ。

→17世紀、プロテスタントの反乱に端を発する三十年戦争が起きた。

◯プラハの歴史的建造物は3,000あまり。

→前述のプラハ城やカレル橋

→1365年完成のティーンの聖母聖堂

→1490年頃完成の天文時計台をもつ旧市庁舎

→1881年建設のネオ・ルネサンス様式の国民劇場。

→1929年に完成した、カール4世の命で再建工事が始まった聖ヴィート大聖堂など。

■プラハの歴史を紐解きながら覚える。世界史を思い出しながら考える建築物の名前だけ覚えれば良いかもしれない。

Wikipedia→プラハの歴史地区

◯ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り

(文)ハンガリー 1987年/2002年範囲拡大 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯ハンガリーの首都

→ブダ地区=10世紀末にマジャル人が建国したハンガリー王国の首都として歴史を伝える。

→ペスト地区=近代ハンガリーを象徴する。

→元々ブダとオーブダ、ペストの3つの街であったがドナウ川に「くさり橋」が架けられたことで合併した。

→15世紀にオスマン帝国に制圧された、マーチャーシュ1世によって改築されたブダ城

→17世紀後半にはハプスブルク家が奪還しバロック様式で再建。

→18世紀にはマリア・テレジアが大規模な改修を行った。

■プラハと間違えやすいので注意。プラハ=ヴルタヴァ川で、ブダペスト=ドナウ川マジャル人はサッカーのマジック・マジャールで覚えてるのでハンガリーはすぐでる。

Wikipedia→ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り

◯シギショアラの歴史地区

(文)ルーマニア 1999年 (Ⅲ) (Ⅴ)

◯ルーマニア中部のシギショアラ

シギショアラの歴史地区は13世紀にハンガリー王国の移民政策によって入植したドイツ人の作った城下町。

→入植した商人や職人がギルドを形成し商業的特権を獲得。

→トランシルバニア地方の商業の中心となり、1367年に自治都市に。

→14世紀創建の時計塔は1676年に焼失後、バロック様式で再建。

→ドラキュラのモデルヴラド3世の生家がある。

■ルーマニア、ギルド形成、ヴラド3世がキーワード。

Wikipedia→シギショアラの歴史地区

◯ポルトの歴史地区

(文)ポルトガル 1996年 (Ⅳ)

◯ドウロ川の河口に位置するポルト。

→旧市街で最も古いポルト大聖堂

→内部が金泥で覆われたサン・フランシスコ教会。

→ポルトガルで最も高い76mの鐘楼クレリゴスの塔

→ポルトは18世紀からポートワインを輸出。

→旧市街とワイン工場のあるドウロ川対岸を「ドン・ルイス1世橋」が結ぶ。

■2021年3月の世界遺産検定2級で出て来て間違えたので個人的に覚えてます。ドウロ川=ポルトとすぐに出なくてはいけないのに出なくて間違えました。ポルト大聖堂ドンルイス1世橋だけでなく、周辺知識を総合して覚えなくてはいけないな、と思いました。

Wikipedia→ポルトの歴史地区

◯リガの歴史地区

(文)ラトビア 1997年 (Ⅰ)(Ⅱ)

◯ラトビアの首都リガ

→13世紀後半にハンザ同盟に加盟。

→旧市街は中世ドイツ商業都市の特徴が見られ、ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式が混在。

→新市街は18世紀の帝政ロシア時代に建造され、富裕層が建てたユーゲントシュティール様式の建築物が並ぶ。

→建築家ミハイル・エイゼンシュタインが設計した集合住宅も残る。

■リガはハンザ同盟がよく紐付けされるので覚えておく。ユーゲントシュティールはアールヌーボーのドイツ語圏の呼称。

Wikipedia→リガの歴史地区

◯ドゥブロヴニクの旧市街

(文)クロアチア 1979年/1994年範囲拡大/2018年範囲変更 (Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)

◯クロアチアにある海洋都市

→地中海交易の重要拠点のラグーサ共和国としてヴェネツィアと並ぶ繁栄を遂げる。

→様々な建築様式が混在する美しい街並。

→1667年の大地震での壊滅的被害、1990年代のユーゴスラビア崩壊後の内戦などでのダメージ。

Wikipedia→ドゥブロヴニクの旧市街

◯ウィーンの歴史地区

(文)オーストリア 2001年/2017年危機遺産登録 (Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)【危機遺産】

◯ウィーンは古代ローマ軍が築いた駐屯地を起源とする。

→ハプスブルク家の王都として繁栄。

→旧市街には12世紀建造の聖シュテファン大聖堂、18世紀建造のベルヴェデーレ宮殿が残る。

→19世紀半ばに皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が城壁を撤去し、リンクシュトラーゼと呼ばれる環状道路をひき、近代都市への大改造を行った。

■ウィーンの歴史地区はリンクシュトラーゼがキーワード。

Wikipedia→ウィーンの歴史地区

◯モスクワのクレムリンと赤の広場

(文)ロシア 1990年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

◯モスクワ大公国→ロシア帝国→ソビエト連邦→ロシア連邦に至る歴史が刻まれた場所。

→1156年に築かれた砦がクレムリンの起源。

→イヴァン3世がレンガ造りの城壁や塔、城門を建造。城外にはウスペンスキー大聖堂をはじめ壮麗な聖堂群や宮殿が建てられる。

→城壁外には15世紀から大規模な市場が開かれていた赤の広場がある。

■大統領官邸クレムリンと赤の広場はモスクワとすぐ結び付く。ウスペンスキー大聖堂を加えて覚えておくようにする。

Wikipedia→モスクワのクレムリンと赤の広場

◯鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界

(文)中国 2017年 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯中国の廈門(アモイ)市にある鼓浪嶼(コウロショ)は九竜江の河口付近の非常に小さな島。

→現地の発音ではコロンスである。

→1843年 南京条約に基づき廈門が開港

→1903年 鼓浪嶼は外国人のための居留地(国際共同租界)となった。

→ヨーロッパと中国の文化が混ざりあう顕著な例と評価されている。

■アヘン戦争からの歴史の流れを覚えておけば、租界についての知識は入るため世界史の流れから覚えるのもあり。

Wikipedia→鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界

◯ジェンネの旧市街

(文)マリ 1988年/2016年危機遺産登録 (Ⅲ)(Ⅳ)【危機遺産】

◯ジェンネはニジェール川と支流のバニ川に挟まれたデルタ地帯にある。

→内陸部と都市をつなぐサハラ交易の中継都市として発展。

→アフリカにおけるイスラム教布教に重要な役割。

→日干しレンガの土台に泥を塗って仕上げるスーダン様式の家々。

→中心には高さ11mのモスク。

→2016年に保護体制不備のため危機遺産登録。

■ジェンネの場所を確認。サハラ交易やイスラム教布教の重要拠点であること。スーダン様式の家々の作り方も覚える。危機遺産にもなっている。と情報量は多いので流れを覚えておくようにする。

Wikipedia→ジェンネの旧市街

◯ケベック旧市街の歴史地区

(文)1985年 (Ⅳ)(Ⅵ)

◯カナダ東部のケベック

→17世紀にフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス」の拠点として築かれた城塞都市。

→1774年のケベック法制定で、イギリス植民地ながらフランスの民法効力、信仰の自由、フランス語使用が認められる。

→旧市街にはカナダ最大級の星形のシタデル(要塞)や、19世紀末に開業したホテルらシャトー・フロントナックなどが残る。

■ケベック州はフランスとの関わりを覚えると流れをつかみやすい。シャトー・フロントナックは過去問に出た。

Wikipedia→ケベック旧市街の歴史地区

■都市計画

◯パリのセーヌ河岸

(文)フランス 1991年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

◯パリのセーヌ河岸(シテ島やサンルイ島)

ノートルダム大聖堂

→1345年完成。ゴシック様式の荘厳な建物。

◯19世紀からの都市改造

→セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが都市改造を実施。

コンコルド広場からシャンゼリゼ通り、凱旋門が立つエトワール広場までを見渡す現在のパリの景観が完成。

シャイヨー宮、エッフェル塔、グラン・パレ、アンヴァリッド、オルセー美術館、ルーヴル美術館、サント・シャペル、ノートルダム大聖堂が構成資産。

テキストの地図を見て、視覚的に覚えておくのがいいと思う。構成資産も多いので覚えるのは大変。実際にパリに行って見て覚えたいところです。

Wikipedia→パリのセーヌ河岸

◯アスマラ:アフリカのモダニズム建築

(文)エリトリア 2017年 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯エリトリアの首都アスマラ

→標高2,000mを超える高地にある。

→1890年代にイタリア植民地の前線基地として発展。

→1935年以降イタリア合理主義の手法に基づく大規模な建設計画が実行された。

→政府機関や住居、商業施設、教会、モスク、シナゴーグ、映画館、ホテルなどが建設。

→20世紀初頭に初期モダニズムの都市計画がアフリカで用いられた事例として重要。

■アフリカの初期モダニズム都市。イタリア植民地政策からの発展。

Wikipedia→アスマラ:アフリカのモダニズム建築

◯ザモシチの旧市街

(文)ポーランド 1992年 (Ⅳ)

◯ポーランド南東部のザモシチ

→国内初の後期ルネサンス様式の小都市

→16世紀後半、貴族で政治家のヤン・ザモイスキはルネサンス都市の建設をベルナルド・モランドに頼んだ。

→碁盤目状に区画され、五角形の城壁で囲まれた街は、バロック様式の市庁舎の時計塔、マニエリスムのトマス聖堂などもある。

Wikipedia→ザモシチの旧市街

◯ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

(文)スペイン 2003年 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯アンダルシア地方のウベダとバエーサ

→スペイン初のルネサンス様式の都市。

→改修に貢献した建築家アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラの手法はラテンアメリカの都市計画にも影響を与えた。

→世界遺産にはウベダの市庁舎やパラドール、バエーサの大聖堂などが登録されている。

■ウベダとバエーサはアンダルシア地方。スペイン初のルネサンス様式。アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラというクイズに出そうな名前を覚える。

Wikipedia→ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

◯アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区

(文)オランダ 2010年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

◯アムステルダムの中心部にある環状運河地区

→16世紀末から17世紀初頭に運河網が整備。

→運河はアムステルダム旧市街から一番外側の運河「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる。

→干拓を進めて市街地をひろげていった。アムステルダムの急速な拡大は大規模な都市計画の見本として19世紀まで世界の都市計画に影響を与えた。

■運河が出たらアムステルダム、運河と言ったらジンフェルグラハト、世界遺産には関係ないけどこの流れのどこかでフィーエルヤッペンが生まれたのかな、と思うのであった。

Wikipedia→アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区

◯ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画

(文)スイス 2009年 (Ⅳ)

◯ラ・ショー・ド・フォンとル・ロクルは隣接しています。

時計製造という単一工業に特化。

→居住区とアトリエ区を近接させた。

→家内制手工業から工場制手工業への変遷に適合。

→マルクスの『資本論』では労働の分業について考察した際に、ラ・ショー・ド・フォンに触れて「工業都市」という用語を生み出した。

ラ・ショー・ド・フォンは時計生産。時計職人の文化と時計製造の効率性の両立。

Wikipedia→ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画

◯エディンバラの旧市街と新市街

(文)イギリス 1995年 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯スコットランドの首都

→エディンバラ旧市街のエディンバラ城は王冠や剣、軍旗の断片、歴代戴冠式に使われた「スクーンの石」も展示されている。

→城内には12世紀建立の「聖マーガレット礼拝堂」も残る

→18世紀から整備された新市街は建築家ジェームス・クレイグが手掛けた。

→新古典主義のジョージアン様式

→建築家ロバート・アダムが設計したシャーロット広場は都市における新古典主義の傑作と評される。

■エディンバラとシャーロット広場がキーワード。新古典主義の造りと人名も抑えておくと良いかな、と。

Wikipedia→エディンバラの旧市街と新市街

◯ルーネンバーグの旧市街

(文)カナダ 1995年 (Ⅳ)(Ⅴ)

◯18世紀半ばにイギリスが建設した植民都市。

→漁師たちが自宅を見分けたカラフルな木造住宅。

→格子状の道路と均一な道幅。

現地を知らない役人がロンドンの机上で都市計画を作り上げたので所々が急坂になっている(笑)→このエピソード最高に笑えます

→旧市街に残る約400の木造家屋のうち8棟は18世紀半ばに建てられた。

→人体の3分の2を占めるカラフルな外壁の住宅は19世紀に建てられ、ヴィクトリア朝建築の要素がみられる。

都市計画の中でもエピソードが強力すぎて笑えるのでそのまま覚えてしまいましょう。

Wikipedia→ルーネンバーグの旧市街

◯ブコビナとダルマチアの首都大主教の邸宅

(文)ウクライナ 2011年(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

◯ウクライナ西部のブコビナのチェルニウツィー。

→19世紀の歴史主義建築の代表首都大主教の邸宅などが残る。

→1864年~1882年にかけてチェコの建築家ヨセフ・フラウガによって中世以来の伝統を踏まえ設計された。

→首都大主教の邸宅ほか、神学校や修道院、教会の庭園が含まれる。

→ビザンツ期以降の文化的影響を表すと同時に、オーストリア=ハンガリー帝国の東方正教会に対する寛容的な宗教政策を反映している。

■東方正教会文化とウクライナの民族文化が融合。個人的に世界遺産検定の中でも覚えにくいランキング上位に入ってくる遺産。ブコビナもヨセフ・フラウガも首都大主教も馴染みがないので頑張って覚えるしかない。

Wikipedia→ ブコビナとダルマチアの首都大主教の邸宅

◯ル・アーヴル:オーギュスト・ペレにより再建された街

(文)フランス 2005年 (Ⅱ)(Ⅳ)

◯北フランスのノルマンディー地方。

→イギリス海峡を臨むルアーヴルは世界の都市復興計画に影響を与えた港湾都市。

→第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で街の約8割が破壊。

→1945年~1964年にかけて再建。

→新古典主義の建築家オーギュスト・ペレが再建を手掛けた。

→クロード・モネが絵の題材(「印象・日の出」)としたことでも有名。

■ルアーヴル=「印象・日の出」はクイズプレイヤーにはお馴染み。地理的環境を覚えておけばノルマンディー上陸作戦との結び付きを覚えて、あとは再建したオーギュスト・ペレを加えて覚えればオーケー。

Wikipedia→ル・アーヴル:オーギュスト・ペレにより再建された街

世界遺産検定2級→06キリスト教(カトリック/プロテスタント/正教会/東方諸教会)

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