【世界遺産】36時間目 宗教・信仰関連遺産(その他の宗教・信仰)~アジアの世界遺産

こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(中)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

世界遺産検定1級 公式テキスト

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今日は36時間目ということで「36宗教・信仰関連遺産(その他の宗教・信仰)」です

■宗教・信仰関連遺産(その他の宗教・信仰)

◯ゴアの聖堂と修道院

(文)インド 1986年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 インドの南西 港町ゴア

歴史 1530年 ポルトガル領インドの首都になりポルトガルのアジア拠点となる。

要塞化、キリスト教化が進みヨーロッパ風の街に。

ゴアとリスボンは定期航路で結ばれ、喜望峰を経由した海上交易が行われた。

1534年 ローマ・カトリック教会の大司教座が置かれカトリック教会のアジア布教中心地にもなった。

フランシスコ・ザビエルが来訪するとキリスト教布教に拍車がかかり、60にも及ぶルネサンス様式、バロック様式、マヌエル様式の聖堂や修道院が建てられた。

一方、イスラム風の建物やヒンドゥー教寺院は破壊された。

特徴 市街に残る10余りの建造物群が世界遺産に登録されている。

ルネサンス様式とバロック様式が融合した教会ボン・ジェズス・バシリカにはザビエルの遺体が安置されている。

マヌエル様式のセ司教座聖堂や聖フランシス教会などのキリスト教関連施設が残る。

■ポルトガルの海上交易やキリスト教アジアでの中心地。ザビエルがキーワード。ボン・ジェズス・バシリカにはザビエルの遺体。

Wikipedia→ゴアの聖堂と修道院

◯フィリピンのバロック様式の教会群

(文)フィリピン 1993年/2013年範囲変更

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 フィリピンの各島に残る。

歴史 バロック様式の教会群はスペイン植民地時代の遺産。

スペイン本国の聖堂をモデルにしつつ、台風や地震対策として天井を低くするなどフィリピンの風土に合わせた造り。

西欧列強の攻撃から守るため堅牢な石造の教会となる。「地震のバロック」とも呼ばれ災害や戦火にも耐えてきた。

これらの教会群はヨーロッパからのキリスト教と教会建築をフィリピンの人々が文化や風土に合わせて受容した歴史でもある。

特徴 4資産が登録されている。

①マニラのサン・アグスティン教会

16世紀着工の現存するフィリピン最古の教会。

②パオアイのサン・アグスティン教会

17世紀末に着工した教会。レンガとサンゴを用いて造られている。

③サンタ・マリアのアスンシオン教会

1765年に建てられる。要塞も兼ねた堅固な造り。

④パナイ島ミアガオのビリャヌエバ教会

1797年に建設。サンゴを用いた美しいレリーフが特徴。

■フィリピンのバロック教会はスペインの文化とフィリピンの文化の融合。4つの教会の造りにも特徴が出ている。

Wikipedia→フィリピンのバロック様式の教会群

◯イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

(文)パレスチナ 2012年

登録基準(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 エルサレムから南に約10km。

歴史 2011年にユネスコに加盟、パレスチナで初めて登録された世界遺産。

339年 イエスが生まれたとされる場所に聖誕教会が建てられた。

6世紀に焼失したが床モザイクを活かして再建。

特徴 聖誕教会にはローマ・カトリックやギリシャ正教、フランシスコ会やアルメニア教会の女子修道院や教会なども含まれ、鐘楼や庭園、巡礼路なども登録された。

漏水による建物破損などのため「緊急的登録推薦」で登録したが、大規模修復が評価され危機遺産リストから脱した。

イエスが生まれたこと、パレスチナ初の世界遺産であることがキーワードかな、と。

Wikipedia→イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

◯イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)

(文)ヨルダン 2015年

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 死海から北に9km ヨルダン川の東岸に位置。2つの個別のエリアで構成。

歴史 この地でイエスがヨハネから洗礼を受けたとされる。

特徴 ローマやビザンツ時代の遺跡が残り、現在もキリスト教徒の巡礼地となっている。

テル・アル・カッラール=ヤバル・マル・エリアス(聖エリヤの丘)として知られる。

聖ヨハネの教会群地区=ヨルダン川近くの洗礼者である聖ヨハネの教会群。

■イエスが洗礼を受けたのはヨルダン川なのはクイズベタ。テル・アル・カッラールをどう覚えようか。

Wikipedia→イエス洗礼の地「ヨルダン川のベタニア」(アル・マグタス)

◯聖書ゆかりの遺丘群:メギド、ハゾル、ベエル・シェバ

(文)イスラエル 2005年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 いずれも聖書に出てくる都市のテル(遺丘)である。

イスラエル北部→メギドとハゾル

イスラエル南部→ベエル・シェバ

歴史 聖書で言及されている歴史的意義に加え、青銅器時代から鉄器時代にかけての都市設計を今に伝えている。

特徴 テルは巨大な丘状の遺跡で、都市や集落が同じ場所で建設と崩壊を繰り返し層となったもの。

メギドの遺丘には20の堆積層に30もの都市の遺構が埋まっていた。

3つの遺丘からは水利施設の跡などが発見されている。

テル=遺丘のこと。聖書に出てきた古代都市のテル。水利施設の存在と堆積されたなかで埋まっていた都市遺構がポイント。

Wikipedia→聖書ゆかりの遺丘群:メギド、ハゾル、ベエル・シェバ

◯ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

(文)イスラエル 2008年

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 イスラエル北部のハイファとアッコ周辺

歴史 イスラム教から派生したバーブ教を前身として、19世紀に発祥したバハイ教の聖地が点在している。

バハイ教は世界中から500万人もの信者を集めており、聖地巡礼の人が絶えない。

特徴 バハイに関する建造物のうち26の資産が世界遺産に登録されている。

一神教であるバハイ教の創始者バハウッラーの霊廟、バーブ教の祖であるバーブ(サイイド・アリー・ムハンマド)の霊廟など様々な建物や記念碑がある。

住宅、庭園も含まれ、新古典様式の近代建築もみられる。

■バーブ教からのバハイ教。創始者のバハウッラーは覚えたい。

Wikipedia→ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

◯バアルベック

(文)レバノン 1984年

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)

場所 ベイルートから東に約80km。ベカー高原の中央部に位置。

歴史 紀元前2000年頃から人が住み始め、フェニキア人によって最初の都市が築かれた。

紀元前64年 ローマ人に征服され、そこからローマ帝国によって築かれたローマの神々を祀る神殿が造られた。

4世紀末にキリスト教を国教としてから神殿の増築は中断。

7世紀 イスラム教徒が流入した頃は神殿は要塞として使用。

1516年 オスマン帝国が支配した頃には忘れ去られていた。

18世紀の地震、1975年のレバノン内戦で大きな被害を受けるが、現在もローマ帝国の建築の威容や、この地の土着宗教の影響を受けた装飾を見ることができる。

特徴 バアルベックは「平原の主」の意味。

東西交易の交通路として発展した。

・ユピテル神殿=神殿の中でも最大の物で、屋根以外はほぼ原型をとどめており、直径約2mの柱の柱頭はコリント式になっている。※コリント式=アカンサスの葉を飾った柱頭が特徴。

バッカスの神殿、ヴィーナスの神殿もその後完成し、ローマ帝国内でも最大規模の聖域となった。

フェニキア人によって造られる。最大の神殿はユピテル神殿。柱はコリント式

Wikipedia→バアルベック

◯タフテ・ソレイマーン

(文)イラン 2003年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 イラン北西部 火山地帯の谷間にある。

歴史 紀元前6~前4世紀にアケメネス朝ペルシアがゾロアスター教を国教としたことから聖域とされた。

3世紀 アルダシール1世がササン朝を開きゾロアスター教を国教とするとタフテ・ソレイマーンはさらに多くの巡礼者を集める聖地として発展した。

7世紀 ビザンツ帝国によって破壊される。

13世紀 イスラム教のイル・ハン国により一部再建、その後再び放棄されて廃墟になった。

特徴 タフテ・ソレイマーンは「ソロモンの王座」を意味するゾロアスター教の聖地。

タフテ・ソレイマーンにあった国家的な祭祀を行った拝火壇(=アザル・ゴシュナスブ)

■タフテ・ソレイマーンが「ソロモン」に繋がるのは理解しやすいので、ゾロアスター教とアルダシール1世を紐づけて覚えたい。

Wikipedia→タフテ・ソレイマーン

◯イランのアルメニア教会修道院群

(文)イラン 2008年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 イラン北西部

歴史 301年に世界で初めてキリスト教を公認した国がアルメニア(クイズに出るよ)

この地はアルメニア正教普及の中心地だった。

特徴 聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、ゾルゾルの聖マリア聖堂はアルメニア人の伝統建築や装飾を顕著に表す建造物群。

■アルメニアの話が出ているけどイランの世界遺産であることに気を付ける。

Wikipedia→イランのアルメニア教会修道院群

◯登封の歴史的建造物群ー天地之中

(文)中国 2010年

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 中国中原にある登封。近くの嵩山(すうざん)は聖山として宗教的な地位を占める。

歴史 漢王朝時代の3つの「闕」、中岳廟、周公測景台、登封観星台などの8カ所の建造物。

王朝ごとに異なる方式を用いて「天地の中心」の概念が表現された。

特徴 仏教の名刹である嵩山少林寺も含まれる。

■歴代王朝から「天地の中心」として守られてきた歴史。道教もこの地で発展。

Wikipedia→登封の歴史的建造物群ー天地之中

◯武当山の道教寺院群

(文)中国 1994年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)

場所 湖北省の武当山。

歴史 道教の聖地。7世紀の唐代に建築が始まり規模を拡張していく。

元代末期の戦火で焼失。15世紀前半に明の永楽帝により再建。

特徴 全長60㎞の参道沿いに32を数える寺院群が建てられていた。

紫霄宮、天柱峰のい頂にある金殿、石畳の参道、数々の庵堂、岩廟なども残る。

■道教の聖地、永楽帝の影響などを覚える。永楽帝関係の遺産もまとめたい。

Wikipedia→武当山の道教寺院群

◯曲阜の孔廟、孔林、孔府

(文)中国 1994年

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 中国北東部山東省。

歴史 前6世紀に孔子の生まれた地かつ終焉の地。

 ◯特徴 孔廟:魯の袁公が孔子の死を偲び、孔子の住居を改築して廟とした。

孔林:講師とその子孫の墓所

孔府:歴代の皇帝が厚遇した孔子の子孫たちの私邸と役所を兼ねた場所。

■※まとめ~他の人にこの世界遺産を説明するならどう説明するか

Wikipedia→曲阜の孔廟、孔林、孔府

◯書院:韓国の性理学教育機関群

(文)韓国 2019年

登録基準(Ⅲ)

場所 韓国内に点在している7つの書院。

歴史 李氏朝鮮時代の性理学教育機関の7つの書院で構成。

書院は性理学が中国から韓国へ受容される歴史的経過を示している。

特徴 建物は山や水源近くに位置。

■書院の目的は学ぶこと、学者を敬うこと、環境と相互交流をはかること。

性理学=宋時代に生まれた儒学の一学説。宇宙の根本原理としての「理」の究明と人間の本質「性」を明らかにしようとした。

世界遺産オンラインガイド→書院:韓国の性理学教育機関群

おわりに

「宗教・信仰関連遺産(その他の宗教・信仰)」については、宗教の名称と区別が必須。関連する遺産や人物名が出たらそのつながりの遺産もセットで覚えるのが結びつけるコツになると思う。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

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