【世界遺産】16日本の文化遺産⑥(百舌鳥・古市/姫路城)

こんばんは、みや兄です!12月12日までは世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

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今日は第16回目ということで「16日本の文化遺産⑥(百舌鳥・古市/姫路城)」です

■16日本の文化遺産⑥(百舌鳥・古市/姫路城)

◯百舌鳥・古市古墳群

(文)日本(大阪) 2019年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

登録基準(Ⅲ)

古墳時代の文化は墳墓の規模と形で当時の政治・社会構造を表していた。

典型的な階層構造が古墳群の形成にあらわれていた。

登録基準(Ⅳ)

日本列島独自の墳墓形式である古墳。集団や社会の力を誇示するモニュメント。

世界各地の埋葬施設のように盛土や積石をしただけではなく、葬送儀礼の舞台としてデザインされている。

埴輪と葺石で装飾、濠が巡らされ、幾何学的な段築を持つなど、類例のない建築。

遺産の説明

45件49基の大小様々な古墳で構成される。

百舌鳥エリア(大阪府堺市)=「仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)」など

古市エリア(大阪府藤井寺市、羽曳野市)=「応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)」など

仁徳天皇陵古墳のような大きな古墳には陪冢と呼ばれる小型の古墳が付属していることがある。構成資産はそれらを合わせて1件と数えるので構成資産数と古墳数が異なる。

「百舌鳥古墳群」と「古市古墳群」は日本最大の古墳があることに加え、「前方後円墳」「帆立貝形墳」「円墳」「方墳」という日本列島の各地に見られる古墳の標準的な形式4つを含んでいる。

歴史

3世紀中頃に前方後円墳が現れる

それ以後様々な形と大きさの古墳が各地に築かれる

3世紀から6世紀後半、各地で築かれた古墳は16万基以上、東北南部から九州南部まで約1,200kmの範囲に広がり、この時代を古墳時代と呼ぶ。

奈良県と大阪府に大きな古墳が現れたのは、「ヤマト王権」が現れ、列島中央部の勢力が中心の位置を占めたことを示すものと理解されている。

『百舌鳥・古市古墳群』は大阪湾を行き来する船からは、港に対して長辺を向ける巨大古墳が良く見えたと考えられている。

百舌鳥エリアは現在44基残り、構成資産に含まれるのは23基。

古市エリアは45基が残り、構成資産に含まれるのは26基。

名称や公開などの課題

仁徳天皇陵という名称についてなど、宮内庁や考古学者で懸念が出ている

(詳しくはテキストP090を参照)

構成資産の概要

【百舌鳥エリア】

①仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)

日本最大の前方後円墳。世界三大墳墓の一つ。大阪湾からの眺めを意識した場所に造成。

②孫太夫山古墳

仁徳天皇陵古墳の前方部南側にある帆立貝形墳。

③履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)

日本3位の巨大前方後円墳。墳丘から円筒埴輪、形象埴輪が見つかる。大阪湾からの眺めを意識した場所に造成。

④いたすけ古墳

幅が広く長さの短い前方後円墳。宅地開発による破壊の危機も、市民を中心とした保存運動により破壊を免れる。

⑤ニサンザイ古墳

日本有数の巨大古墳。墳丘に造られた平坦面から隙間なく並べられた円筒埴輪が見つかっている。

【古市エリア】

①応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)

日本2位の前方後円墳。墳丘の体積は国内1位。墳丘や濠からは円筒埴輪や形象埴輪が見つかる。2万本以上の円筒埴輪が並べられていたと推定されている。

②津堂城山古墳

4世紀後半に築造された前方後円墳。古墳群の中では最初期に築かれたものと考えられている。水鳥形埴輪など珍しい埋葬品あり。

③仲哀天皇陵古墳

室町時代に城として使われた前方後円墳。そのため墳丘の上面は一部の形が変えられている。周囲には幅の広い濠が巡り、堤の上にも円筒埴輪が並べられていた。

■古墳の情報について、各古墳の特徴と古墳時代のことを照らし合わせて覚えると良い。聞きなれない古墳も多いので覚えたい。

Wikipedia→百舌鳥・古市古墳群

◯姫路城

(文)国名 1993年

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)

登録基準(Ⅰ)

木像構造の外側を土壁で覆いその上に白漆喰を施し、複雑な構造の配置や屋根の重ね方を組み合わせる工夫が見られる。日本の木造建築でも最高水準の傑作。

登録基準(Ⅳ)

17世紀初頭に築かれた姫路城は、天守群を中心に櫓、門、土塀などの建造物、石垣や濠も良好な状態で保存。日本独自の城郭構成を成す代表的な建造物。

遺産価値総論

日本の城で最大の規模、完成度の高さを誇る建造物。

82の建造物が現存、そのうち8棟が国宝、残り74棟が重要文化財に指定。

外観の美しさだけでなく、建物の配置や螺旋状に巡らされた曲輪、3重の水濠など、全体的な城の構成含め難攻不落の砦としての機能性や設計思想が示されている。

敵兵を防ぐために狭い通路、頑丈な門櫓、櫓や壁に備えられた石や熱湯を敵に注ぐための石落や、矢や鉄砲を撃つための狭間など、防衛の工夫が凝らされている。

大きな戦火に見舞われることなく保存され、修復作業も創建当時の技術や意匠を引き継いで行われた。

歴史

①豊臣秀吉が中国攻略のため古かった城をもとに新たな城を築くことに決めた。1580年に手を加え、3層の天守閣を含む近代城郭へ。

②関ヶ原の戦いのあと、城主で家康の娘婿である池田輝政が1601年から1609年に姫路城の大改修を実施。外観5層の大天守をはじめとする天守群、2重の濠(内濠・外濠)で囲み内郭と外郭を区分する曲輪構成などを整備。

③1617年に城主になった本多忠政は、長男の忠刻と妻の千姫の居住の場となる西の丸の整備に着手。

明治の時代になると明治政府は軍用地とする。そのため城内は荒廃し、一時は取り壊しの危機もあった。

1919年「史蹟名勝天然記念物保存法」により保存の道が示され、1931年に国宝に指定された。

1934年の豪雨で被害があったため修理計画を立案。1956年からは「昭和の大修理」と呼ばれる大規模な補修工事が行われた。天守群は往時に近い姿を取り戻した。

2009年からは5年半に及ぶ天守群の保全修理(平成の大修理)が行われ、漆喰の乗り替えや瓦の全面葺き直しなどが行われた。

※個人的には姫路城の近くまで行く機会がありましたが、ちょうど改修やってて見られませんでした(涙) 落ち着いたら姫路城見に行きたいです!

保存上の課題

世界遺産の真正性が求められるところだが、伝統的技術が不適切である場合は近代的な構築技術を用いることが許される。

姫路城は礎石が天守の重みを支えきれず傾いていた。そのため「昭和の大修理」の時に礎石が取り除かれ、鉄筋コンクリート製の基礎構造物に取り替えられた。

構成資産の概要

①天守群

内郭北東部の最も深い位置に築かれている。5層の大天守、3層の屋根の小天守3つを四隅に配置、それぞれの間を廊下状の櫓でつないでいる。

②西の丸

本多忠政が築いた居住のための曲輪。化粧櫓と長局が残る。長局には丸、三角、四角の鉄砲狭間や弓狭間があり、石落や蓋による開閉が可能な隠し狭間も設けられていた。

③備前丸

天守群の南側に位置する曲輪跡。かつての城主の居館である本丸御殿があった。1882年の火災で焼失、今は空き地になっている。

④通路

通路は天守群に向かって次第に高くなる設計。城の防御を高める効果があった。それぞれの区画に土塀が築かれ、要衝に門櫓などを置いていた。

■姫路城はその歴史と携わった人名を絡めて覚えたい。大改修を行ったことも昭和と平成で行ったことを覚える。あとは城の機能性ですね。

Wikipedia→姫路城

おわりに

「百舌鳥・古市/姫路城」については、百舌鳥・古市古墳群は新しい遺産なのでテキストきちんと読み込む。姫路城は城主の歴史、お城の歴史・機能性を順を追って覚えることが大事なのでそこを抑えておく。

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