【世界遺産】28霊廟と墳墓~アジアの世界遺産

こんばんは、みや兄です!12月12日までは世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」
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今日は第28回目ということで「28霊廟と墳墓 」です

■28霊廟と墳墓

◯タージ・マハル

(文)インド 1983年

登録基準(Ⅰ)

場所

インド北部アーグラにある。

歴史

17世紀 ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンにより作られた。

1632年から約20年近くかけて建設された愛妃ムムターズ・マハルのための霊廟

タージ・マハルの特徴

総白大理石づくりのタージ・マハルは塀で囲まれ、霊廟本体、南門、庭園などで構成。

南門をくぐるとペルシア式の四分庭園(チャハル・バーグ)が広がり、その向こうに霊廟が見える。

霊廟の左右にモスクと迎賓館が全く同じ構造で建てられ、敷地内は完全な左右対称になっている。

霊廟はドーム型の変形八角形の建物。幅65m、高さ58m。建物の前後左右4面にイーワーンという開放式のホールがありペルシア建築の影響もみられる。

基壇の四隅には高さ42mのミナレットがそびえる。

ムガル帝国の伝統的な建築様式を踏襲しているが、ヨーロッパのバロック様式の影響もみられる。

外壁は「コーラン」の章句を表すアラビア文字や像嵌で描かれたアラベスク紋様などで装飾されている。

1648年に完成した南門は、赤砂岩づくりの楼門。細い柱と屋根で構成されるチャトリと呼ばれるインド・イスラム建築の装飾が特徴。

霊廟の西側のモスクは赤砂岩で造られ、ドームには大理石が使われている。

霊廟の東側の迎賓館は同じ形のモスクと対になる建物。

タージ・マハルは、近年の大気汚染、酸性雨による大理石の劣化が危惧されており、対策が進められている。

シャー・ジャハーンがまたまた登場。ムムターズ・マハルはクイズによく出るので覚えましょう。チャトリは細い柱と屋根で構成されるインド・イスラム建築の装飾。

Wikipedia→タージ・マハル

◯始皇帝陵と兵馬俑坑

(文)中国 1987年

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

中国中央部、陝西省西安の驪山北麓に残る。

歴史

紀元前221年に秦の始皇帝が中国初の統一国家を築く。

紀元前246年 始皇帝が秦の国王に即位した時から建設を開始。

紀元前208年 40年かけて造り、始皇帝の死から2年後に完成。

始皇帝陵と兵馬俑坑の特徴

内外二重の城壁に囲まれている。東、西、南各面に1基、北門に2基の門を備え、全体は東向きであったとされる。

敷地内に東西345m、南北350mの截頭方錐型の墳丘、神殿や祭司施設があったことが確認される。(截頭方錘型=方錐型の上部(底面と平行な面で切り取った立体の形)

現在は文化財保護などの理由から陵の発掘は行われていないが、地下には巨大な宮殿が存在するといわれる。

陪葬坑である兵馬俑坑は1974年に農民が井戸を掘ったときに陵の1.5kmの場所から見つかり、大量の兵馬俑と青銅製の武器が発掘された。

兵馬俑とは兵士や軍馬をかたどった陶製の像。彩色された像はそれぞれ個別に制作されたと考えられている。

■始皇帝陵の歴史と截頭方錐型の墳丘、兵馬俑についても一緒に覚える。

Wikipedia→始皇帝陵と兵馬俑坑

◯ネムルト・ダーの巨大墳墓

(文)トルコ 1987年

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

トルコ南東部のネムルト山の山頂にある。

歴史

紀元前1世紀 コンマゲネ王国アンティオコス1世が自身のために築いた墳墓。

紀元前69年にアンティオコス1世がコンマゲネ王国で即位。ローマ帝国と交渉して自由を獲得。

豊富な鉱物資源や交易により王国に繁栄をもたらし、この成功をもとに王が自らの墓の建設に着手した経過がある。

1881年に墳墓が発見される。

1953年に調査が始まったが墓室に至る通路が見つかってないなど、全貌は未だに解明されていない。

ネムルト・ダーの巨大墳墓の特徴

標高2,200mのネムルト山頂に砕石を積み上げ、高さ75m(現在は50m)直径150mの巨大な円錐形の墳墓を築き山の形を美しく整えた。

墳墓の麓の東西にはテラスが設けられ、アポロン、ゼウス、ヘラクレス、女神フォルトゥナ、アンティオコス1世自身の5体の石像、それを守護する役割の獅子と鷲の石像が2対ずつ置かれた。

石像にギリシャとペルシアの神々が混在するのはコンマゲネ王国が双方の強い影響下にあったことを示している。

現在、立像の頭部は地面に転げ落ち異様な姿をさらしている。

テラスには複数の石板が置かれており、アンティオコス1世が神々と握手する図柄の石板は王と神が対等な存在であることを示している。

「王の星占い」と呼ばれるレリーフが施された石板には、獅子と19の星が刻まれ、水星、火星、金星が大きく描かれており、これは紀元前62年の7月7日にこの3つの星が一直線に並んだことを表しているという。

コンマゲネ王国アンティオコス1世がキーワード。覚える方法としては「眠るとダー、アンティ起こす1世」というように、眠ることと起こすことを絡めるのがいいと思いました(主観)。

Wikipedia→ネムルト・ダーの巨大墳墓

◯宗廟

(文)韓国 1995年

登録基準(Ⅳ)

場所

韓国の首都ソウルにある。

歴史

1394年 漢陽(現在のソウル)に都を遷し、宗廟の建造を開始。

1395年 朝鮮王朝の太祖李成桂が造営した霊廟。

1592年 文禄の役の際は豊臣秀吉が派遣した軍により一部が破壊。

1608年に再建された。

宗廟の特徴

儒教の思想に基づいて造られた正殿や永寧殿には、歴代の王や王妃の位牌が安置されている。

他にも祭器などの保管庫である典祀庁、楽師の待機場所の楽工庁、李氏朝鮮の83人の功臣を祀る功臣堂などが残る。

正殿は左右の幅約150m、外廊に柱身がふくらんだエンタシスの柱が並び、同時代の単一木造建築物としては世界最大規模とされる。

永寧殿は2代国王の定宗を祀る際に増築された別廟。李成桂の祖先4代の位牌や正殿から移された王や王妃の位牌が祀られている。

宗廟大祭

15世紀から伝わる祭礼。現在も毎年5月に行われている。

伝統的な民族衣装をまとった李王家末裔の人々が、祖霊を拝み歴代王の功績を讃える。

位牌が安置された部屋は閉じられているが宗廟大祭の時だけ開かれる。

2001年 ユネスコ「人類の口承及び無形遺産の傑作」に選定。

2009年 無形文化遺産に登録。

宗廟李成桂が造営。儒教の思想、現在も続く宗廟大祭の中身も覚えておく。

Wikipedia→宗廟

◯朝鮮王朝の王墓群

(文)韓国 2009年/2013年範囲変更

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

韓国の漢陽を中心に郊外に分布。

歴史

15~20世紀にかけて王墓群は造営される。

朝鮮王朝の王墓群の特徴

18ヶ所に点在する40の王墓からなる。

王墓群は儒教信仰に基づく祖先崇拝を示している。

朝鮮王朝時代、王や王妃の遺体は王墓に安置され、霊魂は『宗廟』に祀られた

王墓の建築は自然美を取り入れ、南方は水に臨み、背後から山々の稜線に抱かれるように設計された。

■上で説明した宗廟とあわせて覚える。遺体は王墓、霊魂は宗廟

Wikipedia→朝鮮王朝の王墓群

◯古代高句麗王国の都城と古墳群

(文)中国 2004年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)

場所

主に吉林省集安市と遼寧省桓仁満族自治県に分布。

歴史

紀元前1世紀に興った王国は度々都を遷す。

古代高句麗王国の都城と古墳群の特徴

古代高句麗王国の都城や40の墳墓群からなる。

王国前期の3つの都にあった五女山城、丸都山城、国内城の城跡が登録されている。

王と貴族の墳墓群に残る色彩豊かな壁画には北方遊牧民の影響がうかがえる。

好太王(広開土王)の石碑は古代日本を知る重要史料。

■古代高句麗はあまり知らないので意識して覚えなくては。好太王は日本史でも出てくるのでこれを結びつける。こちらは中国にある高句麗の遺産

Wikipedia→古代高句麗王国の都城と古墳群

◯高句麗古墳群

(文)北朝鮮 2004年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

北朝鮮の首都平壌周辺。

歴史

4~7世紀 高句麗王国の中・後期頃に建造。

高句麗古墳群の特徴

63基からなる古墳群。

多くに美しい壁画が残されており、四神図(青龍、白虎、朱雀、玄武)や狩猟図、女性像など多岐にわたる。

日本の高松塚古墳やキトラ古墳の壁画との関連性も指摘されており、高句麗王国が日本を含む東アジアに大きな影響を与えていたことがわかる。

■ひとつ前の中国にある高句麗の遺産とあわせて覚える。こちらは北朝鮮の高句麗の遺産東アジアでの影響と結び付けばこちらが北朝鮮の方と覚えられる(日本と近いという紐付け方)

Wikipedia→高句麗古墳群

◯明・清時代の皇帝陵墓

(文)中国 2000年/2003年、2004年範囲拡大

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

湖北省の明顕陵、河北省の清東陵、清西陵、北京市の明十三陵、遼寧省の関外三陵。

歴史

中国を約550年に渡り支配した明と清、清の前身である後金により建設された墓所。

明・清時代の皇帝陵墓の特徴

明、後金、清によって建設された25人の皇帝や皇后、妃らが埋葬された大規模な墓所。

陵墓の多くは古来の風水思想に従って選ばれた土地に地下宮殿を配置している。

■明、清時代の~だが後金のも入る。ポイントは明十三陵と風水思想あたり。

Wikipedia→明・清時代の皇帝陵墓

◯高敞、和順、江華の史石墓跡

(文)韓国 2000年

登録基準(Ⅲ)

場所

韓国 全羅北道の高敞、全羅南道の和順、仁川市の江華

歴史

先史時代の巨石文化の遺跡。

高敞、和順、江華の支石墓跡の特徴

支石墓=巨大な石板を石塊で支えた墓のことでドルメンともいう。

全世界に残る支石墓の約半数の3万基ほどが韓国に密集。

高敞の442基、和順の287基、江華の約60基が登録された。

地域によって形状が異なり、江華では2枚の垂直な岩板で天井岩を支える北方式。和順のものは4個の支石の上に蓋石を置く碁盤形の南方式、高敞のものは2つの混合式。

■3つの地域にある支石墓跡。支石墓はドルメンとも呼ばれる。3つの地域の形状は異なる

Wikipedia→高敞、和順、江華の支石墓跡

◯デリーのフマユーン廟

(文)インド 1993年/2016年範囲変更

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所

インドのデリー市にある。

歴史

1570年に完成したムガル帝国2代皇帝フマユーンのための墓廟。

ペルシア人のミーラーク・ミールザー・ギヤースの指揮のもと、9年の歳月をかけて造られた。

1857年 シパーヒー(セポイ)の反乱で、反乱軍側についた最後の皇帝が、この廟の中で捕らえられミャンマーへ追放されると、インドはイギリスの直接支配下に置かれた。

デリーのフマユーン廟の特徴

インド初の本格的なイスラム廟建築。王妃や王子、宮廷人らおよそ150人も埋葬されたとされる。

大きな特徴として、イスラム建築特有の尖塔型のアーチを多用して全体を構成し、ペルシア式の巨大なドーム屋根を架けていること。

ファサードの赤砂岩の壁面に白い大理石を埋め込んだ象篏技法、ドームの周囲に設けたチャトリ(小塔)はインドの伝統的な技法。

ペルシアとインドの見事な融合がみられる。

総白大理石のドームは外観を大きく見せるため外側の屋根と内側の天井を別にした二重構造。この下にある幾何学的なデザインが施された中央墓室にフマユーン帝の石棺が安置されている。

四方に広がる広大な正方形の庭園は、水路で十字に区切られたペルシア式の四分庭園(チャハル・バーグ)となっている。インドで初めて造られたチャハル・バーグで、『コーラン』の「天上の楽園」を再現している。

ムガル帝国の権力を象徴し、インド廟建築の礎を築いたフマユーン廟は、約1世紀後のタージ・マハルにも多大な影響を与えた貴重な建築でもあり、帝国の終焉の場所となった。

フマユーン廟はペルシア様式を導入したインド初のイスラム廟建築物。ペルシアとインドの融合はポイント。

Wikipedia→デリーのフマユーン廟

◯ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟

(文)カザフスタン 2003年

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

カザフスタン南部の街トゥルキスタンにある。

歴史

12世紀に遊牧民にイスラム教を広めたイスラム神秘主義の指導者ホージャ・アフマド・ヤサヴィーが祀られている。

ヤサヴィーを崇拝していたティムールの命により1389年から1405年にかけて聖廟やモスクなどが大改築された。

ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟の特徴

現在のティムール朝の建築物の中でも保存状態が良く、美しいブルーのタイルで装飾された霊廟ドームは、当時の建築技術の高さを示す。

この建築技術はティムールの首都サマルカンドの建築物に受け継がれた。

ホージャ・アフマド・ヤサヴィーは覚えられる気がせん(涙) ヤサヴィーを祀るティムール朝の大霊廟。

Wikipedia→ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟

◯アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟と関連建造物群

(文)イラン 2010年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

場所

イラン北西部のアルダビール。

サファヴィー朝の前身であるスーフィズム(イスラム神秘主義)のサファヴィー教団発祥の地。

歴史

16~18世紀末 サファヴィー教団の教祖であるシャイフ・サフィ・アッディーンの霊廟を含む施設群が建設された。

アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟と関連建造物群の特徴

サファヴィー朝の王家一族を祀った宗教的建造物に加え、学校や病院などの生活施設の機能も持つ。

シャイフの聖域へと至る道に7つの階段があり、これは神秘主義の7つの段階を表しており、8つの門は8つの態度を示している。

美しい装飾が施された中世イスラム建築の結晶ともいえる貴重な遺産。

サファヴィー朝の遺産であることが強く出ている。シャイフ・サフィ・アッディーンという名前も声に出して覚えなくては。

Wikipedia→アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟

◯ベート・シェアリムのネクロポリス:ユダヤ人再興の中心地

(文)イスラエル 2015年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)

場所

ハイファの南東に位置するベート・シェアリム

歴史

紀元前2世紀以降に作られた。

132年 ユダヤ人はバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)を起こすもローマ軍に敗れ、エルサレムは再び破壊されて多くの死者を出した。

ベート・シェアリムのネクロポリス:ユダヤ人再興の中心地の特徴

複数のカタコンベ(地下墓所)で構成されるベート・シェアリムのネクロポリス。

エルサレムの外にあるものとしては主要なユダヤ教徒の墓地

ベート・シェアリムには、ギリシャ語やアラム語、ヘブライ語で書かれた絵画や碑文が残っており、初期ユダヤ教の姿を今に伝えている。

ベート・シェアリムはハイファの南東。イスラエルの遺産、複数のカタコンベがキーワードかな、と。

Wikipedia→ベート・シェアリムのネクロポリス:ユダヤ人再興の中心地

◯ゴンバデ・カーブース

(文)イラン 2012年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

イラン北東部

歴史

1006年 ズィヤール朝4代皇帝でアラビア詩人としても高名なカーブースのために建設された。

ゴンバデ・カーブースの特徴

14~15世紀 モンゴル帝国の侵略を受けて破壊されたが、モンゴル侵略前に芸術と科学の最先端都市であったヨルハンの繁栄を伝える唯一の建造物。

イランやアナトリア地方、中央アジアに確認できる聖式建築の影響を受けたイスラム建築の革新的発展の顕著な例とされる。

■ズィヤール朝とカーブースはあまり聞き慣れない言葉。関係ないけどシカゴ・カブスに似てるねゴンバデ・カーブースは。チーム名のように覚えよう。

世界遺産センターより→ゴンバデ・カーブース

◯ディルムンの墳墓群

(文)バーレーン 2019年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

バーレーン島西部

歴史

紀元前2200年から1750年の間に築かれたディルムン文明期の墳墓群。

紀元前2000年頃に貿易の一大拠点となり、そこで得た富によって数多くの墳墓を築いた。

(ディルムンを経由して南メソポタミアに銅や錫、砂金、象牙、ラピスラズリ、真珠などの資源が輸送された。)

ディルムンの墳墓群の特徴

21の考古遺跡からなる。6つの考古遺跡は数十から数千の墳墓からなり、全部で11,774の墳墓がある。

初めは低い円筒状の塔であったと考えられている。

その他の15の考古遺跡には17の王族の墓が含まれてる。

バーレーン21というあだ名をつけます。貿易の一大拠点となったことがキーワード。

世界遺産センター→ディルムンの墳墓群

おわりに

「霊廟と墳墓」については、まずは◯◯◯を抑えておく。そして◯◯◯を覚える。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

ではではー!

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世界遺産検定1級→29古代文明①~アジアの世界遺産

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