【世界遺産】26 都市遺跡①~アジアの世界遺産

こんばんは、みや兄です!12月12日までは世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」
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今日は第26回目ということで「26都市遺跡① 」です

■26都市遺跡①

◯アンコールの遺跡群

(文)カンボジア 1992年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

カンボジア北西部に広がる熱帯雨林に囲まれたところにある。

歴史

800年頃 クメール人が興して以来、アンコール朝の歴代の王は即位の度に都城と寺院を造営し自らを神格化した。

9世紀後半 この地を王都として以後、何世紀にも渡り歴代の王の絶対的な権力が反映された高い芸術性に富む都城や寺院などが建造された。

12世紀前半 スーリヤヴァルマン2世が建設を開始。30年かけて建造された。

アンコールの遺跡群の特徴

9~15世紀にかけてインドシナ半島の大半を支配下に置いたクメール人によるアンコール王朝の繁栄を伝える都市遺跡。

400k㎡にわたる広大な地域に600をこえる石造りの遺跡が残る。

この地で花開いたクメール美術は東南アジア全域に多大な影響を及ぼした。

アンコール遺跡群最大の寺院は幅190mの外堀に囲まれた面積約2k㎡のアンコール・ワット。クメール語でアンコール=街、ワット=寺院。

(1)アンコール・ワットについて

寺院内部はヒンドゥー教の宇宙観を表現。中央の高さ約65mの尖塔と四方の塔計5基は、地球の中心に位置し神々が住むとされる5つの頂をもつ須弥山(メール山)を表している。

大地の間には7つの海があり、その全体をヒマラヤ山脈が取り囲むという考えに基づき、須弥山の同心円状に6つの大地と海を表す堀、ヒマラヤ山脈を表す周壁がある。

本殿の尖塔には王とヴィシュヌ神が合体したヴィシュヌ・ラージャ神像が祀られていたとされる。

本殿を囲む三重の回廊は内側ほど高くなっており、外側の第1回廊は周囲約800m、いろいろなモチーフをもった精緻な浮き彫りで埋め尽くされている。

(2)アンコール・トムについて

1177年 隣国チャンパーから攻撃を受けたことを教訓にジャヤヴァルマン7世が築いた都城で13世紀初頭に完成。

アンコール・ワットに比べ防衛力が強化。

ジャヤヴァルマン7世が仏教を厚く信仰したため仏教的要素が強い建造物が多い。

中心となる仏教寺院バイヨンには54基の巨大な四面仏顔塔が並び、バイヨン様式という独自の美術様式を示している。

(3)タ・プロームについて

1186年 ジャヤヴァルマン7世が母の菩提寺として建立。

ガジュマルの木によって侵食されている。

(4)ロリュオスについて

879年に建立されたアンコール最古のヒンドゥー教寺院プリア・コールがある。

(5)バンテアイ・スレイについて

ヒンドゥー教寺院で女神デヴァター像が祀られている。

その美しさからフランスの作家アンドレ・マルローが盗み出そうとして逮捕されたエピソードも残る。

クメール美術、アンコール朝の栄華、スーリヤヴァルマン2世といった大まかなキーワードを捉えつつ、各遺産についても細かな特徴があるのでそこをおさえる。テキストP171に掲載されている地図を見ながら覚えると覚えやすいと思います。

Wikipedia→アンコールの遺跡群

◯サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡

(文)カンボジア 2017年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)

場所

カンボジアのスタン・セン川やオー・クル・ケー川、いくつもの水路や沼地、自然の土手など「水」の強い影響が特徴の平野に位置する。

歴史

プレ・アンコール期と称される6世紀終わりごろから7世紀はじめにかけて栄えた真臘(チャンラ王国)の首都イシャナプラであった。

真臘はここを拠点としながら現在のタイやラオスの領内の一部を含む広大な領土を支配していた。

サンボープレイクック~の特徴

サンボープレイクックはクメール語で「豊かな森の寺院」。

都市の遺構は25k㎡に渡り広がり、その中に寺院が集中する地区や、一辺2kmの都城地区がある。

遺産の多くはレンガ造り。八角形の祠堂も10ある。

寺院地区はプラサート・サンボー寺院、プラサート・タオ寺院、プラサート・イェイ・ポワン寺院の3つの複合伽藍が代表的。

それぞれの寺院は中心の祠堂、周りに複数の祠堂や構築物が取り囲む幾何学的な伽藍配置。

代表される装飾「空中宮殿(フライング・パレス)」や「怪魚マカラ」はプレ・アンコール期の特徴的な表現法でサンボー・プレイ・クック様式として知られる。

サンボー・プレイ・クックはヒンドゥー教や仏教の宇宙観がカンボジアで具現化された最初の事例。

ここで発展した美術や建築が後にアンコール時代に開花したクメール美術の礎となったといえる。

■プレ・アンコール期の「森の寺院」。後のクメール文化に繋がるサンボープレイクック様式はおさえる。八角形の祠と伽藍配置も忘れずに。

Wikipedia→サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡

◯ハノイにあるタン・ロン皇城遺跡の中心地

(文)ベトナム 2010年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)

場所

ベトナム北部 ハノイの紅河デルタを埋め立てた干拓地にある。

歴史

11世紀 ベトナム李王朝によりタン・ロンの皇城が建設、大越国の中国からの独立を証言するものとなった。

7世紀に中国が建造した要塞遺跡の上に建設された。

19世紀まで都が置かれ、政治の中心であり続けた。

タン・ロン皇城遺跡の中心地の特徴

タン・ロンは昇龍の意味、現在のハノイ。

皇城の建物とホアンディウ考古遺跡には、紅河下流渓谷部における、北からの中国文化と南からのチャンパー王国文化が融合した独特の文化がよく表れている。

(テキストには写真として国旗掲揚塔が掲載されている)

■南北の異文化が融合。ハノイの紅河デルタを埋め立てた干拓地もキーワード。

Wikipedia→ハノイにあるタン・ロン皇城遺跡の中心地

◯フエの歴史的建造物群

(文)ベトナム 1993年

登録基準(Ⅳ)

場所

ベトナム中部にある。

歴史

19世紀~20世紀に栄えたベトナム最後の王朝グエン朝ゆかりの建造物が多く残る。

1968年にはベトナム戦争時で王宮の建物はほとんど破壊された。

皇帝が政務を執った太和殿や、王宮の正門は補修を加えられ、豪華な王宮建築の姿を今に伝える。

フエの歴史的建造物群の特徴

フエの中心部からやや南寄りに位置する王宮は、北京の紫禁城(故宮)の4分の3の縮尺で造られたといわれる。

フエの城壁外には中国式の中庭を持つミンマン帝稜、フランス統治時代に築かれたカイディン帝稜など多様な皇帝の稜墓が点在する。

■フエは世界遺産検定2級の時も出ましたが、グエン朝がキーワード。ベトナム戦争で破壊された後に補修。中華風と西洋風が融合した都。

Wikipedia→フエの歴史的建造物群

◯チャンパネールーパーヴァガドゥ遺跡公園

(文)インド 2004年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)

場所

インド西部グジャラート州にある。

歴史

8世紀頃 ヒンドゥー教を信仰したラージプート族の王朝チャウハン朝の都として築かれた都市遺跡。

チャンパネールーパーヴァガドゥ遺跡公園の特徴

遺跡はチャンパネール村とパーヴァガドゥ丘という2エリアで構成。

パーヴァガドゥ丘の頂上にあるカーリーカマタ寺院はヒンドゥー教の聖地として多くの巡礼者が訪れる。

先史時代の遺跡や初期ヒンドゥー文化に属する丘の上の要塞、8~14世紀の宮殿、住居群や水道設備、15世紀のグジャラート州の遺跡など幅広い時代の遺構が残る。

■芸能人にいそうな名前No.1のカーリーカマタ寺院チャウハン朝は覚える。名前は長い遺産名ですがチャンパネール村とパーヴァガドゥ丘の2エリアということを思い出すと良いと思います。

Wikipedia→チャンパネールーパーヴァガドゥ遺跡公園

◯ハンピの都市遺跡

(文)インド 1986年/2012年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

インド南部にある。

歴史

14~16世紀頃にインド一帯を支配したヴィジャヤナガル王国の都の遺跡。「ヴィジャヤナガル」は勝利の都という意味

(=ファテープル・シークリーやスリジャヤワルダナプラコッテとかも似たような意味ですよね。)

16世紀 王国の最盛期を迎え、数多くのヒンドゥー教寺院や宮殿が造営された。

1565年 イスラム軍に敗れ廃墟と化した。

ハンピの都市遺跡の特徴

ヴィルパークシャ寺院やヴィッタラ寺院、ロータス・マハル、ラーマ・チャンドラ寺院、ハザーラ・ラーマ寺院、クリシュナ・バザール(市場)、象舎などが残る。

■インドやスリランカは「勝利の都」みたいな名前付けがち。ヴィジャヤナガルとハンピをうまく結びつけたい。

Wikipedia→ハンピの都市遺跡

◯アーメダバードの歴史都市

(文)インド 2017年

登録基準(Ⅱ)(Ⅴ)

場所

インド西部グジャラート州にある。

歴史

1411年 グジャラート王国のアフマド・シャー1世により築かれた城壁に囲われた都市でグジャラート朝の首都であった。

アーメダバードの特徴

スルタン統治時代の建造物が多く残る。

バードラ砦や門や壁、数多くのモスクと墓、その後建てられたヒンドゥー教とジャイナ教の寺院のほかに、「ポル」と呼ばれる密集した伝統的家屋、門のある伝統的な街路がある。

ヒンドゥー教、イスラム教、仏教、ジャイナ教、キリスト教、ゾロアスター教、ユダヤ教など様々な宗教の施設が存在し、多文化共生の貴重な事例となっている。

■個人的に紐付けやすかったので「アーメダバードは、宗教の宝石箱や~(彦麿呂さん調)」と覚えましょう。「ポル」もおさえておく。

Wikipedia→アーメダバードの歴史都市

◯ファテープル・シークリー

(文)インド 1986年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

インドのアーグラの西約40kmの場所にある。

歴史

ムガル帝国3代皇帝アクバルが築いた都市。(アクバルは昨日のアーグラ城のところでも出ましたね。)

1571年からわずか14年間しか使われず新都ラホールに遷都された。

ファテープル・シークリーの特徴

ファテープル・シークリーは「勝利の都」という意味。

都市は幾何学的な計画に基づいて造られた。

宮廷地区には国民が皇帝に謁見するための広い中庭をもつディワーネ・ハースや、皇帝が納涼するためのパンチ・マハルなどが残る。

モスク地区にはイスラム建築とインドの建築様式を融合した寺院ジャーミ・マスジドや、その門の一つブランド・ダルワーザ(偉大なる門)が残る。

アクバル帝が関わる遺産はいくつかあるので横断的に覚えたい。中世イスラム文化を伝える遺跡都市、ブランド・ダルワーザは必殺技っぽいですよね(主観)

Wikipedia→ファテープル・シークリー

◯シーギリヤの古代都市

(文)スリランカ 1982年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

スリランカ中部の岩山

歴史

5世紀 シンハラ王国カッサパ1世が建設。

カッサパ1世は弟を追放し父を殺し王に即位、供養のため父が計画して未完になっていたシーギリヤの城塞を完成させ移り住んだ。

しかし弟に敗れカッサパ1世は自害、シーギリヤは11年で放棄され廃墟と化した。

シーギリヤの古代都市の特徴

南北約180m、東西約100m、高さ約200mの岩山に建設した要塞を中心とする古代都市遺跡。

「獅子の山」を意味するシーギリヤの山頂に宮殿や庭園、調水池などを含む空中庭園が造営される。

北側には巨大な獅子の門が造られ、麓にあった市街地にはアジア最古の庭園の1つとされる「水の庭園」が造られた。

岩山の西側の壁には「シーギリヤ・レディ」と呼ばれる華やかな装身具で身を飾った「天女」たちを描いた壁画がある。

この壁画はスリランカを代表するテンペラ画で、インドの『アジャンター石窟寺院群』の壁画と同じで、隈取りして立体感を出したり、やや前屈みの姿勢で体の線を柔らかく描く方法が見られる。

かつては500体ほどあったが現在は19世紀末に発見された21体のみ。

壁画以外にも参拝者客が残したカッサパ1世の盛衰を表現する685編もの「落書き」が残る。これはスリランカ最古の文学作品ともいわれる貴重な記録となっている。

カッサパ1世のロックな生き方にインパクトが残りましたが、スリランカの岩山、水の庭園、シーギリヤ・レディ、獅子の門あたりは、覚えておきたい。

Wikipedia→シーギリヤの古代都市

◯バゲルハット:モスクを中心とした歴史都市

(文)バングラデシュ 1985年

登録基準(Ⅳ)

場所

バングラデシュ南部、ガンジス川河口に造られたイスラム都市。

歴史

15世紀前半 湿地帯であったこの地をトルコ系の武将ハーン・ジャハーン・アリーが開拓。

かつてはハリファターバッドと呼ばれ、言い伝えによるとハーン・ジャハーン・アリーはこの地に360のモスク、360の聖廟、360の池を作ったという。

バゲルハットの特徴

現在は60のドームをもつシャット・グンバド・モスクをはじめハーン・ジャハーン様式と呼ばれる独特の様式のモスクやダルガー(聖者廟)など約50の建築物が残る。

■バゲルハットはハーン・ジャハーン・アリーによって造られたイスラム都市ということは最低限覚える。

Wikipedia→バゲルハット:モスクを中心とした歴史都市

◯アフロディシアス

(文)トルコ 2017年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

トルコ中部モルシナス渓谷上流

歴史

紀元前3世紀 愛と美の女神アフロディーテを祀った『アフロディーテの神殿』が造られた。

1世紀後 アフロディーテを信仰する人々の街として造られた

アフロディシアスの特徴

アフロディシアスの考古遺跡と大理石採掘場の2つで構成される。

アフロディーテ信仰を通してローマ帝国と緊密な関係を結んでおり、元老院から税金の免除を受けた。

アフロディシアスは大理石の採掘と大理石の彫刻製作により繁栄。

街路には神殿や劇場、広場、2つの浴場施設が残る。

■名前と関連づけてアフロディーテ信仰をおさえておけばオーケー。私はこの遺跡をいつもギリシャだと思ってしまうので気を付けたいと思います。アフロディシアスはトルコ!アフロディシアスはトルコです!

Wikipedia→アフロディシアス

◯ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地

(文)トルコ 2014年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

トルコ北西部の南マルマラ地方。

歴史

14世紀初頭 オスマン帝国による、都市部と農村部からなる都市計画を象徴するもの。

都市の中心部で発展した新首都の社会・経済的組織の機能を今に伝えている。

ブルサの特徴

ブルサには8つの遺跡群が残る。

シルクロードの西の基点として繁栄、オスマン帝国初期の1326年~1365年まで首都が置かれていた。

モスクやマドラサ(宗教学校)、公共浴場、貧者向けの台所、スルタンの霊廟からなるキュリエと呼ばれる宗教施設が残る。

ジュマルクズクの特徴

ブルサ近郊の村。都市部の経済を支えた農村の面影を残す村。

都市部と農村部からなる都市計画を象徴する遺産。都市部がブルサ、農村部がジュマルクズク。キュリエについてもおさえておく。

Wikipedia→ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地

◯カルハットの古代都市

(文)オマーン 2018年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)

場所

オマーンの東海岸に位置する。

歴史

11~15世紀にホルムズ王国の王子たちの治世にアラビア半島の東海岸の中心的港として繁栄した。

ホルムズ王国は馬やナツメヤシ、香料、真珠などを輸出し富を得た。

カルハットの古代都市の特徴

都市は二重の壁で囲われ、外側の壁の外には古代の共同墓地があった。

アラビア半島東岸と東アフリカ、インド、中国、東南アジアとの間に交易が行われていた貴重な考古学的な証拠が見られる。

ホルムズ王国のホルムズは「アフラ・マズダ」からきているらしい(無駄な豆知識)。ナツメヤシ等の貿易で栄えたこと、アラビア半島からの各地との交易が行われていたところもポイント。

Wikipedia→カルハットの古代都市

おわりに

「都市遺跡①」については、まずは◯◯◯を抑えておく。そして◯◯◯を覚える。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

ではではー!

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世界遺産検定1級→27都市遺跡②~アジアの世界遺産

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